世田谷統一教会の横から見た説教台 

世田谷統一教会<
横から見た説教台.JPG
/strong>の横から見た説教台
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世田谷統一教会の説教台

お花がとても綺麗です、 日曜日に世田谷教会、教会長の聖日の説教をこの説教台からあります。

お花が綺麗な 説教台.JPG
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2011年02月15日

世田谷統一教会 世田谷統一教会訪問

世田谷にある世田谷統一教会の礼拝堂ご紹介 (1)
礼拝堂.JPG
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2011年02月14日

世田谷統一教会

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1階看板
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世田谷統一教会

(世田谷統一教会)に行ってきました。
(世田谷)にある(世田谷統一教会)は新しい教会長
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を迎えて大いに盛り上がって
いました。(世田谷統一教会)1階入口
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世田谷統一教会訪問

新しくなった世田谷統一教会へ行って来ました。
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第六章 再 臨 論 渋谷統一教会

第一節 イエスはいつ再臨されるか
第二節 イエスはいかに再臨されるか
第三節 イエスはどこに再臨されるか
第四節 同時性から見たイエス当時と今日
第五節 言語混乱の原因とその統一の必然性

イエスは、再臨するということを明確に言われた(マタイ一六・27)。しかし、その日とそのときは、天使もイエスもだれも知らないと言われた(マタイ二四・36)。それゆえ、今までイエスがいつ、どのようにして、どこに来られるかということに関しては、それについて知ろうとすることそれ自体が無謀なことのように考えられてきた。
しかしながら、イエスが繰り返し、「ただ父だけが知っておられる」と言われた事実や、アモス書三章7節において、「まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と言われたみ言などを総合して考えると、その日、そのときを知っておられる神は、イエスの再臨に関するあらゆる秘密を、必ず、ある預言者に知らせてから摂理されるであろうということを、知ることができる。
それゆえ、イエスは、一方では、「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう」(黙三・3)と言われながら、その反面においては、テサロニケ・五章4節にあるごとく、光の中にいる人には、盗人のように不意に襲うことはないであろうとも言われているのである。イエスの初臨の際に起こったことを見ても、イエスは、暗闇の中にいた祭司長たちや律法学者たちに対しては、事実、盗人のように来られたが、光の中にいた洗礼ヨハネの家庭には、イエスの誕生に関することが前もって知らされたし、また、彼が誕生したときには、東方の博士たち(マタイ二・1、2)、シメオン、アンナ、羊飼いたちには、その事実を知らせてくださったのである。そしてまた、ルカ福音書二一章34節から36節にかけて、その再臨の日が、不意にわなのようにあなた方を捕らえるであろうから、絶えず祈りをもってその惑わしを避け、主の前に立つことができるようにしなさいと言われていることを見ても、光の中にいる信徒たちには、その再臨の日のために準備することができるように、あらかじめそのことを知らせてくださることは明らかである。
復帰摂理路程に現れた例から見ても、神はノアの審判のときや、ソドムとゴモラを滅ぼされるとき、あるいは、メシヤの降臨のときにおいても、常にその事実を預言者たちにあらかじめ知らせてから摂理されたのであった。したがって、神は、イエスの再臨に関しても、終末のときには神の霊をすべての人に注ぐと約束されたように(使徒二・17)、光の中にいるすべての信徒たちを通じて、耳と目とをもっている人たちには、必ず見ることができ、聞くことができるように、啓示してくださることは明らかである。


第一節 イエスはいつ再臨されるか

イエスが再臨されるときのことを、我々は終末という。ところで、現代がすなわち終末であるということに関しては、既に前編の人類歴史の終末論において明らかにした。したがって、我々は、現代がとりもなおさず、イエスの再臨なさるときであるということを知ることができるのである。ところで、復帰摂理歴史から見れば、イエスは、蕩減復帰摂理時代(旧約時代)の二〇〇〇年を経たのちに降臨されたのである。それゆえ、蕩減復帰の原則から見れば、前時代を実体的な同時性をもって蕩減復帰する再蕩減復帰摂理時代(新約時代)の二〇〇〇年が終わるころに、イエスが再臨されるであろうということを、我々は知ることができるのである。
さらに、第一次世界大戦に関する項目のところで詳しく説明したように、第一次大戦でドイツが敗戦することにより、サタン側のアダム型の人物であるカイゼルが滅び、サタン側の再臨主型の人物であるスターリンが共産主義世界をつくったということは、イエスが再臨されて共生共栄共義主義を蕩減復帰されるということを、前もって見せてくださったのである。したがって、我々は、第一次世界大戦が終了したあとから再臨期が始まったと見なければならないのである。


第二節 イエスはいかに再臨されるか
(一)聖書を見る観点
(二)イエスの再臨は地上誕生をもってなされる
(三)雲に乗って来られるという聖句は何を意味するのか
(四)イエスはなぜ雲に乗って再臨されると言われたのか


(一)聖書を見る観点
神は、時ならぬ時に、時のことを暗示して、いかなる時代のいかなる環境にある人でも、自由にその知能と心霊の程度に応じて、神の摂理に対応する時代的な要求を悟るようにさせるため、すべての天倫に関する重要な問題を、象徴と比喩とをもって教示してこられたのである(ヨハネ一六・25)。それゆえ、聖書は、各々その程度の差はあるが、それを解釈する者に、みな相異なる観点を立てさせるような結果をもたらすのである。教派が分裂していくその主要な原因は、実にここにある。ゆえに、聖書を解釈するに当たっては、その観点をどこにおくかということが、最も重要な問題であるといわなければならない。
洗礼ヨハネに関する問題が、その一つの良い例となるのであるが、我々は、イエス以後二〇〇〇年間も、洗礼ヨハネがその責任を完遂したという先入観をもって聖書を読んできたので、聖書もそのように見えたのであった。ところが、それと反対の立場から聖書を再び詳しく調べてみることによって、洗礼ヨハネは、その責任を完遂できなかったという事実が明らかにされたのである(前編第四章第二節(三))。このように、我々は今日に至るまで、聖書の文字のみにとらわれ、イエスが雲に乗って来られると断定する立場から聖書を読んできたので、聖書もそのように見えたのである。しかし、イエスが雲に乗って来られるということは、現代人の知性をもってしては、到底理解できない事実であるから、我々は、聖書の文字が物語っている、その真の意味を把握するために、従来とは異なる角度で、もう一度、聖書を詳しく調べてみる必要があるのである。
我々は、聖書の洗礼ヨハネに関する部分から、また一つの新しい観点を発見した。預言者マラキは、メシヤ降臨に先立って、既に昇天したエリヤがまず来るであろうと預言したのであった(マラキ四・5)。したがって、イエス当時のユダヤ人たちは、昇天したエリヤその人が再臨するものと思っていたから、当然エリヤは天より降りてくるであろうと信じ、その日を切望していたのである。ところが、意外にもザカリヤの息子として生まれてきた(ルカ一・13)洗礼ヨハネを指して、イエスは、彼こそがエリヤであると、明らかに言われたのである(マタイ一一・14)。我々はここにおいて、エリヤの再臨が、当時のユダヤ人たちが信じていたように、彼が天から降りてくることによってなされたのではなく、地上で洗礼ヨハネとして生まれてくることによってなされたという事実を、イエスの証言によって知ることができるのである。これと同様に、今日に至るまで、数多くの信徒たちは、イエスが雲に乗って再び来られるであろうと信じてきたのであるが、その昔、エリヤの再臨の実際が、我々に見せてくれたように、再臨のときも初臨のときと同様、彼が地上で肉体をもって誕生されるかもしれないということを、否定し得る何らの根拠もないのである。それでは、今我々はここにおいて、イエスが地上に肉身をもっての誕生というかたちで再臨される可能性があるという観点から、これに関する聖書の多くの記録を、もう一度詳しく調べてみることにしよう。
イエスの初臨のときにも、多くの学者たちは、メシヤがユダヤのベツレヘムで、ダビデの子孫として生まれるということを知っていたのである(マタイ二・5、6)。しかし一方、ダニエル書に「わたしはまた夜の 幻 のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて」(ダニエル七・13)と記録されているみ言により、メシヤが雲に乗って降臨されるかもしれないと信ずる信徒たちもいたであろうということは、推測するに難くないのである。それゆえに、イエスが十字架で亡くなられたのちにおいても、ユダヤ人たちの中には、地上で肉身をもって生まれたイエスがメシヤになり得るはずはないと言って、反キリスト教運動を起こした者たちもいたのであった。それゆえに、使徒ヨハネは彼らを警告するために、「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである」(ヨハネ・7)と言って、肉身誕生をもって現れたイエスを否認する者たちを、反キリストと規定したのである。ダニエル書七章13節のみ言は、イエスの再臨のときに起こることを預言したものであると主張する学者たちもいる。しかし、「すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである」(マタイ一一・13)というみ言、あるいは、「キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである」(ロマ一〇・4)と記録されているみ言を見ても分かるように、旧約時代には、メシヤの降臨をもって復帰摂理の全目的を完成しようとする摂理をしてこられたので、イエス御自身が、自ら再臨されることを言われるその前までは、一度来られたメシヤがまた再臨されるであろうなどとは、だれも想像することができなかったはずである。したがって、イエス当時のユダヤ人たちには、ダニエル書七章13節27のみ言がメシヤの再臨に関する預言であるなどとは、だれも考えも及ばなかったことなのである。それゆえに、当時のユダヤ人たちは、この預言のみ言をイエスの初臨のときに現れる現象として、認識していたのであった。このようにイエスの初臨のときにも、聖書的根拠によって、メシヤは雲に乗って来られるであろうと、信じていた信徒たちは少なくなかったのである。しかしイエスは、実際には地上に肉身をもって誕生されたのであるから、再臨なさるときにもまた、そのようになるかもしれないという立場から、我々はもう一度、聖書を詳しく調べてみなければならないのである。

(二)イエスの再臨は地上誕生をもってなされる
ルカ福音書一七章24節から25節を見ると、イエスは将来、彼が再臨されるときに起こる事柄を予想されながら、「人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」と言われたのであった。もしイエスが、聖書の文字どおりに雲に乗って、天使長のラッパの音と共に、神の栄光の中に再臨されるとするならば(マタイ二四・30、31)、いかに罪悪が満ちあふれている時代であろうとも、このような姿をもって来られるイエスを信奉しない人がいるであろうか。それゆえに、イエスがもし雲に乗って来られるとするならば、苦しみを受けられるとか、この時代の人々から捨てられるとかいうようなことは、絶対にあり得ないことといわなければならない。
それではイエスは、なぜ、再臨されるとき、そのように不幸になると言われたのであろうか。イエス当時のユダヤ人たちは、預言者マラキが預言したように(マラキ四・5)、メシヤに先んじてエリヤが天から再臨し、メシヤの降臨に関して教示してくれることを待ち望んでいたのである。ところがユダヤ人たちは、まだエリヤが来たという知らせさえも聞かない先に、イエスが微々たる存在のまま、盗人のように突如メシヤを名乗って現れたために、彼らはイエスを軽んじ、冷遇したのであった(前編第四章第二節(二))。イエスは、このような御自身を顧みられるとき、再臨なさるときにもまた、初臨のときと同様、天だけを仰ぎ見ながらメシヤを待ち焦がれるであろうところのキリスト教信徒たちの前に、地上から誕生された身をもって、盗人のように現れるなら(黙三・3)、再び彼らに異端者として追われ、苦しみを受けることが予想されたので、そのようにこの時代の人々から捨てられなければならないと言われたのであった。したがって、この聖句はイエスが肉身をもって再臨されることによってのみ、摂理の目的が成就されるのであり、そうせずに、雲に乗って来られるのでは、決してその目的は成就されないことを示したものだということを、我々は知らなければならない。
さらに、ルカ福音書一八章8節を見ると、イエスが、「あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」と言われたみ言がある。終末に近づけば近づくほど、篤い信仰を立てようと努力する信徒たちが次第に増えてきつつあり、しかも、雲に乗って、天使のラッパの音と共に、神の栄光のうちに主が現れるというのに、そのときなぜ信仰する人はおろか信仰という言葉さえも見ることができないほどに、信徒たちが不信に陥るはずがあろうか。このみ言もまた同じく、イエスが雲に乗って再臨されるとするならば、決してそのようになるはずがないことなのである。我々が今、イエス当時のあらゆる事情を回想してみると、ユダヤ人たちは、将来エリヤが天から降りてきたのちに、メシヤがベツレヘムに、ユダヤ人の王として誕生されるであろうと信じてきたのである(マタイ二・6)。ところがまだエリヤさえも現れていないというのに、不意に、ナザレで大工の息子として成長してきた一人の青年が、メシヤを名乗って出てきたのであるから、彼らユダヤ人の中からは、死を覚悟してまでも彼に従おうとするような、篤実な信仰を見ることができなかったのである。イエスはこのような事情を悲しまれながら、将来再臨されるときにおいても、すべての信徒たちが、イエスが雲に乗って再臨されるものと信じ、天だけを眺めるであろうから、御自分が再び地上に肉身をもって現れるなら、彼らも必ずこのユダヤ人たちと同じく、信仰という言葉さえも見られないほどに不信仰に陥るであろうということを予想されて、そのように嘆かれたのであった。それゆえに、この聖句について見ても、イエスが地上で誕生されない限り、決してそこに書かれたとおりのことは起こり得るはずがないといえるのである。
また、この聖句を、終末における信徒たちの受ける艱難が、あまりにも大きいために、彼らがみな不信に陥ってそのようになるのであると解釈する学者たちもいる。しかし、過去の復帰過程において、艱難が信徒たちの信仰の妨げとなったことはなかった。まして、信徒たちが信仰の最後の関門に突入する終末において、そのようなことがあり得るであろうか。艱難や苦痛が激しくなればなるほど、天からの救いの手をより強く熱望し、神を探し求めるようになるのが、万人共通の信仰生活の実態だということを我々は知らなければならない。
そこで再び我々は、イエスが、マタイ福音書七章22節から23節にかけて、「その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』」と言われたみ言のあるのを見いだす。イエスの名によって奇跡を行うほど信仰の篤い信徒であるならば、栄光のうちに雲に乗って来られるイエスを、だれよりも固く信じ、忠実に従わないはずがあろうか。にもかかわらず、なぜそのような彼らが、その日イエスによって、かくまで厳しい排斥を受けるようになると言われたのであろうか。もし、そのような信仰の篤い信徒たちさえも、イエスによって見捨てられるとするならば、終末において救いを受け得る信徒は、一人もいないということになる。したがって、このみ言もまた、もしイエスが雲に乗って来られるとすれば、決して、そのようなことが生ずる道理はないのである。
イエス当時においても、奇跡を行うほど信仰の篤い信徒たちが、相当にいたはずである。しかし、メシヤに先立ってエリヤが天から降りてくると信じていた彼らは、洗礼ヨハネこそ、ほかでもない、彼らが切に待望していたエリヤであったということを知らなかったのであり(ヨハネ一・21)、したがって、来たり給うたメシヤまでも排斥してしまったので、イエスもまた涙をのんで彼らを見捨てなければならなくなったのである。これと同様に、彼が再臨されるときにも、地上から誕生されるならば、イエスが雲に乗って来られるものと信じている信徒たちは、必ず彼を排斥するに相違ないので、いかに信仰の篤い信徒たちであろうと、彼らは不法を行う者として、イエスから見捨てられざるを得ないであろうというのがこのみ言の真意なのである。
ルカ福音書一七章20節以下に記録されている終末観も、もし、イエスが雲に乗って再臨されるとすれば、このとおりのことが起こるということはあり得ない。したがって、イエスが地上から誕生されるという前提に立って初めて、この聖句は完全に解かれるのである。では我々はここで、これらの聖句を一つ一つ取りあげて、その内容を更に詳しく調べてみることにしよう。
「神の国は、見られるかたちで来るものではない」(ルカ一七・20)。もしイエスが、雲に乗って来られるとするならば、神の国はだれもがみな見ることができるようなかたちでくるはずである。ところが初臨のときにも、イエスが誕生されることによって、既に神の国はきていたにもかかわらず、エリヤが空中から再臨するのだと信じ、それのみを待望していたユダヤ人たちは、イエスを信ずることができず、それほどまでに待ち望んできた神の国を見ることができなかったのである。このように再臨のときにも、イエスが地上に誕生されることにより、そのときから神の国がくるわけであるが、雲に乗って再臨するとばかり信じている信徒たちは、地上に再臨された主を信ずることができず、待望の神の国を見ることができないようになるので、そのように言われたのである。
「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七・21)。イエスの初臨のときにも、まず初めに彼をメシヤと信じ、彼に従い、彼に侍った人たちにとっては、既にその心のうちに天国がつくられていたのであった。そのように再臨されるときにも、彼は地上で誕生されるのであるから、彼を先に知って、彼に侍る信徒たちを中心として見るならば、天国は先に彼らの心のうちにつくられるのであり、このような個人が漸次集まって、社会をつくり、国家を形成するようになれば、その天国は次第に見ることができる世界として現れるはずなのである。したがって、イエスが雲に乗って来られて、一瞬にして、見ることのできる天国をつくられるのではないということを、我々は知らなければならない。
「人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう」(ルカ一七・22)。もし、イエスが天使長のラッパの音と共に、雲に乗って再臨されるとするならば、だれもがみな一度に彼を見ることになるので、その人の子の日を見ることができないはずはないのである。それでは、イエスはどうして人の子の日を見ることができないと言われたのであろうか。初臨のときも、イエスが地上で誕生されると同時に、人の子の日は既にそのときにきていたのであったが、不信仰に陥ったユダヤ人たちは、この日を見ることができなかった。これと同様に、再臨のときにおいても、イエスが地上に誕生される日をもって、人の子の日はくるのであるが、イエスが雲に乗って来られると信ずる信徒たちは、イエスを見ても、彼をメシヤとして信ずることができないので、人の子の日が既にきているにもかかわらず、彼らはそれをそのような日として見ることができないようになるということなのである。
「人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな」(ルカ一七・23)。既に復活論で論じたごとく、終末においては、心霊がある基準に達した信徒たちは「汝は主なり」という啓示を受けるようになるのであるが、そのとき、彼らがこのような啓示を受けるようになる原理を知らなければ、自らを再臨主と自称するようになり、来たり給う主の前に、偽キリストとなるのである。それゆえに、このような人々に惑わされることを心配されて、そのような警告のみ言を下さったのである。
「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう」(ルカ一七・24)。イエスが誕生されたとき、ユダヤ人の王が生まれたという知らせが、サタン世界のヘロデ王のところにまで聞こえ、エルサレムの人々の間で騒動が起こったと記録されている(マタイ二・2、3)。ましてや、再臨のときにおいては、交通と通信機関が極度に発達しているはずであるから、再臨に関する知らせは、あたかも、稲妻のように、一瞬のうちに東西間を往来することであろう。
ルカ福音書一七章25節に関しては、既に論じたので、ここでは省くことにする。
「ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう」(ルカ一七・26)。ノアは、洪水審判があるということを知って、人々に箱舟の中に入るようにと呼びかけたのであるが、彼らはそれに耳を傾けず、みな滅んでしまったのである。これと同様に、イエスも地上に再臨されて、真理の箱舟の中に入るようにと人々に呼びかけるであろう。しかし、主が雲に乗って再臨するであろうと信じ、天だけを眺め入っている信徒たちは、地上から聞こえてくるそのみ言には一向耳を傾けず、かえって彼を異端者であると排斥するようになり、ノアのときと同様、彼らはみな、摂理のみ旨を信ずることができない立場に陥ってしまうであろう。
「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・33)。雲に乗って、天使長のラッパの音と共に、栄光の中で再臨される主を信ずるのであれば、死を覚悟しなければならないようなことが生ずるはずはない。ところが、イエスは地上誕生をもって再臨されるので、雲に乗って再臨されるものと固く信じている信徒たちには、彼は異端者としてしか見えず、ゆえに、彼を信じ、彼に従うためには、死を覚悟しなければならないのである。しかし、そのような覚悟をしてまで彼を信じ、彼に従うならば、その結果はかえって生きるようになるけれども、これに反し、現実的な環境に迎合して、彼を異端として排斥して生きのびようと後ずさりをするようになれば、その結果はむしろ死に陥らざるを得ないのである。
「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」(ルカ一七・37)。イエスは弟子たちが彼の再臨される場所を問うたとき、このように答えられた。ところで我々は、アブラハムの祭壇に供えられた、裂かなかった鳩の死体の上に荒い鳥が降りてきたという事実を知っている(創一五・11)。これは、聖別されていないものがある所には、それを取るためにサタンが付きまとうということを表示するのである。それゆえに、イエスのこの最後の答えは、死体のある所に、その死体を取ろうとしてサタンが集まるように、命の根源であられる主は、命のある所に来られるということを意味するのである。結局このみ言は、主は信仰の篤い信徒たちの中に現れるということを意味するのである。既に、復活論で述べたように、イエスの再臨期には、多くの霊人たちの協助によって、篤実な信徒たちが一つの所に集まるようになるのであるが、ここが、いわば命のある所であり、主が顕現される所となるのである。イエスは初臨のときにも、神を最も熱心に信奉してきた選民の中で誕生されたのであり、選民の中でも彼を信じ、彼に従う弟子たちの中に、メシヤとして現れ給うたのであった。
このように、イエスが再臨されるときには、彼は地上で誕生されるので、黙示録一二章5節に、「女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた」と記録されているのである。ここで言っている鉄の杖とは、罪悪世界を審判して、地上天国を復帰する神のみ言を意味する。人類歴史の終末論で詳しく述べたように、火の審判は舌の審判であり、すなわち、これはみ言の審判をいうのである(ヤコブ三・6)。それゆえに、イエスが語られたそのみ言が、彼らを裁くと言われたのであり(ヨハネ一二・48)、不信仰な人々が裁かれ、滅ぼされるべき日に火で焼かれる(ペテロ・三・7)とも言われ、また主は、口の息をもって不法の者を殺すとも言われたのである(テサロニケ・二・8)。ゆえに、世を裁かれるイエスの口のむち、舌と口の息、すなわち彼のみ言こそが、その鉄の杖なのである(イザヤ一一・4)。ゆえに黙示録二章27節に、「鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう」と記録されているのである。ところがこの男の子は明らかに女の体から生まれたといわれているのであり、また彼は神のみもとに、そのみ座の所にまで引きあげられたと記録されているのである。それでは、女の体から神のみ座に座られるお方として誕生され、神のみ言をもって万国を治めるその男子とは、いったいだれであろうか。彼こそほかならぬ地上での王の王として誕生され、地上天国を成就される、再臨のイエスでなければならないのである。マタイ福音書の冒頭を見れば、イエスの先祖には四人の淫婦があったということを知ることができる。これは万民の救い主が、罪悪の血統を通じて、罪のない人間として来られてから、罪悪の血統を受け継いだ子孫たちを救われるということを見せてくださるために記録されたのである。
今までは上述の聖句の中の「女」を、教会として解釈していた信徒たちが多かった。しかし、これはイエスが雲に乗って来られるという前提のもとで、この聖句を解釈したので、教会と解する以外に意味の取りようがなかったためにすぎない。その他、黙示録一二章17節に記録されている「女の残りの子ら」というのも、その次に記録されているように、イエスを信ずることによって、その証をもっている者たちであり、神の養子としての位置に(ロマ八・23)立っている信徒たちを意味するのである。
イエスの再臨に関し、ある学者たちは、聖霊の降臨によって(使徒八・16)、イエスが各自の心の内に内在するようになることが(ヨハネ一四・20)、すなわち彼の再臨であると信じている。しかし、イエスは彼が十字架で亡くなられた直後、五旬節に聖霊が降臨されたときから(使徒二・4)今日に至るまで、だれでも彼を信ずる人の心の内に常に内在されるようになったのであり、もし、これをもって再臨であるとするならば、彼の再臨は既に二〇〇〇年前になされたのであると見なければならない。
またある教派では、イエスが霊体をもって再臨されると信じている。しかしイエスはその昔、墓から三日後に復活された直後、生きておられたときと少しも変わらない姿をもって弟子たちを訪ねられたのであり(マタイ二八・9)、そのときから今日に至るまで、心霊基準の高い信徒たちのもとには、いつでも自由に訪ねてこられて、あらゆる事柄を指示されたのであった。したがって、このような再臨は既に二〇〇〇年前になされたのであると見なければならないし、もし、そうであるとするなら、今日の我々が、彼の再臨の日を、歴史的な日として、かくも望みをかけ、待ち焦がれる必要はなかったのである。
イエスの弟子たちは、イエスの霊体とは随時会っていたにもかかわらず、その再臨の日を待望している事実から見ても、弟子たちが待っていたのは、霊体としての再臨ではなかったということを知ることができるのである。そればかりでなく、黙示録二二章20節に、イエスは、霊的にいつも会っておられた使徒ヨハネに向かって、「しかり、わたしはすぐに来る」と言われたのであり、また、このみ言を聞いたヨハネは、「主イエスよ、きたりませ」と答えたのであった。これによれば、イエス御自身も、霊体をもって地上に来られるのが再臨ではないということを既に言い表されたのであり、また使徒ヨハネも、イエスが霊体で現れることをもって彼の再臨であるとは見なしていなかったということを、我々は知ることができるのである。このように、イエスが霊体をもって再臨されるのでないとすれば、彼が初臨のときと同様、肉身をもって再臨される以外にはないということは極めて自明のことであろう。
創造原理において詳しく述べたように、神は無形、有形の二つの世界を創造されたのち、その祝福のみ言のとおりに、二つの世界を主管させるために、人間を霊人体と肉身との二つの部分をもって創造されたのであった。しかしながら、アダムが堕落し、人間はこの二つの世界の主管者として立つことができなくなったので、主管者を失った被造物は嘆息しながら、自分たちを主管してくれる神の子たちが現れることを待ち望むようになったのである(ロマ八・19〜22)。 それゆえに、イエスは、完成されたアダムの位置において、 この二つの世界の完全な主管者として来られ(コリント・一五・27)、あらゆる信徒たちを御自分に接がせ(ロマ一一・17)、一体とならしめることによって、彼らをもみな被造世界の主管者として立たしめようとされたのである。しかるに、ユダヤ民族がイエスに逆らうようになったので、彼らと全人類とを神の前に復帰させるための代贖の条件として、イエスの体をサタンに引き渡され、その肉身はサタンの侵入を受けるようになったのである。したがって、肉的な救いは成就されず、後日再臨されて、それを成就すると約束されてから、この世を去られたのであった(前編第四章第一節(四))。それゆえに、今まで地上において霊肉共に完成し、無形、有形二つの世界を主管することによって、それらを一つに和動し得た人間は、一人もいなかったのである。したがって、このような基準の完成実体として再臨されるイエスは、霊体であってはならないのである。初臨のときと同様、霊肉共に完成した存在として来られ、全人類を霊肉併せて彼に接がせて、一つの肢体となるようにすることによって(ロマ一一・17)、彼らが霊肉共に完成し、無形、有形二つの世界を主管するようになさしめなくてはならないのである。
イエスは、地上天国を復帰されて、その復帰された全人類の真の親となられ、その国の王となるべきであった(イザヤ九・6、ルカ一・31〜33)。ところが、ユダヤ人たちの不信仰によって、その目的を成就することができなかったので、将来、再臨されて成就なさることを約束されてから、十字架で亡くなられたのである。したがって、彼が再臨されても、初臨のときと同様、地上天国をつくられ、そこで全人類の真の親となられ、また王とならなければならないのである。それゆえに、イエスは再臨されるときにも、初臨のときと同様、肉身をもって地上に誕生されなければならないのである。
また、人間の贖罪は、彼が地上で肉身をつけている場合にのみ可能なのである(前編第一章第六節(三)(3))。それゆえに、イエスは、この目的を達成するため、肉身をもって降臨されなければならなかったのである。しかるに、イエスの十字架による救いは、あくまでも霊的な救いのみにとどまり、我々の肉身を通して遺伝されてきたすべての原罪は依然としてそのまま残っているので、イエスはこれらを贖罪し、人間の肉的救いまで完全に成就するために、再臨されなければならないのである。したがって、そのイエスの再臨も、霊体をもってなされるのでは、この目的を達成することができないので、初臨のときと同じく、肉身をもって来られなければならないのである。我々は既に、イエスの再臨は霊体の再臨ではなくして、初臨のときと同様、肉身の再臨であるということを、あらゆる角度から明らかにした。ところがもし、イエスが霊体をもって再臨されるとしても、時間と空間を超越して、霊眼によってしか見ることのできない霊体が、物質でできている雲に乗って来られるということは、どう考えても、不合理なことといわなければならない。しかも、彼の再臨が霊体でなされるのでなく、肉身をもってなされるということが事実であるとすれば、その肉身をもって空中のいずこにおられ、いかにして雲に乗って来られるのであろうか。これに対しては、全能なる神であるなら、どうしてそのような奇跡を行い得ないはずがあろうかと、反問される人がいるかもしれない。しかし、神は自ら立てられた法則を、自らが無視するという立場に立たれることはできないのである。したがって神は、我々と少しも異なるところのない肉身をとって再臨されなければならないイエスを、わざわざ地球でない、他のどこかの天体の空間の中におかれ、雲に乗って再臨されるようにするというような非原理的摂理をされる必要はさらになく、また、そのようなことをなさることもできないのである。今まで調べてきた、あらゆる論証に立脚してみるとき、イエスの再臨が、地上に肉身をもって誕生されることによってなされるということは、だれも疑う余地のないものといわなければならない。

(三)雲に乗って来られるという聖句は何を意味するのか
イエスの再臨が、地上誕生をもってなされるとするならば、雲に乗って来られるというみ言は、いったい、何を意味するのかを知らなければならない。そして、これを知るためには、まず雲とは何を比喩したものであるかということを知らなければならないのである。黙示録一章7節に、「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン」と記録されているみ言を見れば、すべての人たちが、必ず再臨されるイエスを見るようになっているのである。ところが、ステパノが殉教するとき、神の右に立っておられるイエスを見たのは、霊眼が開いた聖徒たちだけであった(使徒七・55)。したがって、霊界におられるイエスが、霊体そのままをもって再臨されるとすれば、彼は霊眼が開けている人々にだけ見えるのであるから、決して、各人の目がみな、霊体をもって再臨されるイエスを見ることはできないのである。ゆえに、聖書に、すべての人の目がみな再臨される主を見ることができるといっているのは、彼が肉身をとって来られるからであるということを知らなければならない。また肉身をつけているイエスが、雲に乗って来られるということは不可能なことであるから、ここでいうところの雲は、明らかに何かを比喩しているに相違ないのである。ところが、同じ聖句の中で、彼を刺しとおした者たちも見るであろうと記録されている。イエスを刺しとおした者は、ローマの兵士であった。しかしローマの兵士は、再臨されるイエスを見ることはできないのである。なぜかといえば、既に死んでしまったローマの兵士が、地上で再臨されるイエスを見ることができるためには、復活しなければならないのであるが、黙示録二〇章5節の記録によれば、イエスが再臨されるとき復活し得る人は、最初の復活に参与する人々だけであり、その他の死んだ者たちは、千年王国時代を経たのちに初めて復活することができるといわれているからである。それゆえに、ここでいっている「刺しとおした者」というのは、どう考えても比喩として解釈する以外にはなく、イエスが雲に乗って来られると信じていたにもかかわらず、意外にも彼が地上で肉身誕生をもって再臨されるようになる結果、それを知らずに彼を迫害するようになる者たちのことを指摘したものと見なければならない。このように、「刺しとおした者」を比喩として解釈するほかはないとするならば、同じ句節の中にある「雲」という語句を、これまた比喩として解釈しても、何ら不合理なことはないはずである。
それでは、雲とは果たして何を比喩した言葉であろうか。雲は地上から汚れた水が蒸発(浄化)して、天に昇っていったものをいう。しかるに、黙示録一七章15節を見ると、水は堕落した人間を象徴している。したがって、このような意味のものとして解釈すれば、雲は、堕落した人間が重生し、その心が常に地にあるのでなく、天にある、いわば信仰の篤い信徒たちを意味するものであるということを知り得るのである。また雲は、聖書、あるいは古典において、群衆を表示する言葉としても使用されている(ヘブル一二・1)。そればかりでなく、今日の東洋や西洋の言語生活においても、やはりそのように使われているのを、我々はいくらでも見いだすことができるのである。またモーセ路程において、イスラエル民族を導いた昼(+)の雲の柱は、将来、同じ民族の指導者として来られるイエス(+)を表示したのであり、夜(−)の火の柱は、イエスの対象存在として、火の役割をもってイスラエル民族を導かれる聖霊(−)を表示したのであった。我々は、以上の説明により、イエスが雲に乗って来られるというのは、イエスが重生した信徒たちの群れの中で、第二イスラエルであるキリスト教信徒たちの指導者として現れるということを意味するものであることが分かる。既に詳しく考察したように、弟子たちがイエスに、どこに再臨されるかということについて質問したとき(ルカ一七・37)、イエスが、死体のある所にははげたかが集まるものであると答えられたそのみ言の真の内容も、その裏として信仰の篤い信徒たちが集まる所にイエスが来られるということを意味したのであって、要するに、雲に乗って来られるというみ言と同一の内容であることを、我々は知ることができる。
雲を、以上のように比喩として解釈すると、イエスは初臨のときにも、天から雲に乗って来られた方であったと見ることができるのである。なんとなれば、コリント・一五章47節に、「第一の人(アダム)は地から出て土に属し、第二の人(イエス)は天から来る」とあるみ言や、また、ヨハネ福音書三章13節に、「天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない」とあるみ言のとおり、イエスは事実上、地上で誕生されたのであるが、その目的や、価値を中心として見るときには、彼は明らかに、天より降りてこられた方であったからである。ダニエル書七章13節に、初臨のときにも、イエスがやはり雲に乗って来られるといい表していた理由も、実はここにあったのである。

(四)イエスはなぜ雲に乗って再臨されると言われたのか
イエスが、雲に乗って再臨されると言われたのには、二つの理由があった。第一には、偽キリストの惑わしを防ぐためであった。もしイエスが地上で肉身誕生によって再臨されるということを言われたとすれば、偽キリストの惑わしによる混乱を防ぐことができなかったであろう。イエスが卑賤な立場から立ってメシヤとして現れたのであるから、いかに卑賤な人であっても霊的にある基準に到達するようになれば、それぞれが再臨主であると自称するようになって世を惑わすからである。しかし、幸いにもあらゆる信徒たちがイエスが雲に乗って来られると信じ、天だけを仰いできたので、この混乱を免れることができたのである。ところが今はときが到来したので、イエスが再び地上で誕生されるということを、明らかに教えてやらなければならないのである。
第二には、険しい信仰の路程を歩いている信徒たちを激励するためであった。イエスはこのほかにも、なるべく早く神の目的を達成しようとされて、信徒たちを激励されるために、前後のつじつまがよく合わないようなみ言を語られた例が少なくなかった。その実例を挙げてみると、マタイ福音書一〇章23節に、イエスは弟子たちに彼の再臨がすぐに成就されるということを信じさせるために、「よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう」と言われたみ言が記録されており、またヨハネ福音書二一章18節から22節までに記録されているみ言を見ると、イエスが、将来ペテロが殉教するであろうことを暗示されたとき、このみ言を聞いていたペテロが、「主よ、この人(ヨハネ)はどうなのですか」と問うた質問に対して、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたには何の係わりがあるか」と答えられたのである。このみ言によって、ヨハネが世を去る前にイエスが再臨されるのではなかろうかと待ち望んだ弟子たちもいたのであった。またマタイ福音書一六章28節を見ると、イエスは、「よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」と言われたので、弟子たちは、自分たちが生きている間に、再臨されるイエスに会うかもしれないと考えていたのであった。
このようにイエスはすぐにでも再臨されるかのように話されたので、弟子たちはイエスの再臨を熱望する一念から、ローマ帝国の圧政とユダヤ教の迫害の中にあっても、かえって聖霊の満ちあふれる恩恵を受けて(使徒二・1〜4)、初代教会を創設したのであった。イエスが雲に乗り、神の権威と栄光の中で、天からの天使のラッパの音と共に降臨され、稲妻のごとくにすべてのことを成就されると言われたのも、多くの苦難の中にある信徒たちを鼓舞し、激励するためだったのである。


第三節 イエスはどこに再臨されるか
(一)イエスはユダヤ民族の内に再臨されるか
(二)イエスは東の国に再臨される
(三)東方のその国は、すなわち韓国である


イエスが霊体をもって再臨されるのでなく、地上から肉身をもった人間として、誕生されるとするならば、彼は神が予定されたところの、そしてある選ばれた民族の内に誕生されるはずである。それでは予定されたその場所とはいったいどこなのであろうか。

(一)イエスはユダヤ民族の内に再臨されるか
黙示録七章4節に、イエスが再臨されるとき、イスラエルの子孫のあらゆる部族の中から、一番先に救いの印を押される者が、十四万四千人であると記録されているみ言、また弟子たちがイスラエルの町々を回り終わらないうちに人の子が来るであろう(マタイ一〇・23)と言われたみ言、そしてまたイエスのみ言を聞いている人々の中で、人の子がその王権をもってこられるのを、生き残って見る者がいる(マタイ一六・28)と言われたみ言などを根拠として、イエスがユダヤ民族の内に再臨されるのだと信じている信徒たちが随分多い。しかしそれらはみな、神の根本摂理を知らないために、そのように考えるのである。
マタイ福音書二一章33節から43節によると、イエスはぶどう園の主人と農夫およびその息子と僕の例えをもって、自分を殺害する民族には再臨されないばかりでなく、その民族にゆだねた遺業までも奪いとって、彼の再臨のために実を結ぶ他の国と民族にそれを与えると、明らかに言われたのである。この比喩において、主人は神を、ぶどう園は神の遺業を、また農夫はこの遺業をゆだねられたイスラエルの選民を、そして僕は預言者を、主人の息子はイエスを、その実を結ぶ異邦人は、再臨されるイエスを迎えて神のみ旨を成就することができる他のある国の民を、各々意味するのである。それではイエスは、なぜイスラエルの子孫たちに再臨されると言われたのであろうか。この問題を解明するために、まず我々は、イスラエルとは何を意味するものかということについて調べてみることにしよう。
イスラエルという名は、ヤコブが「実体献祭」のためのアベルの立場を確立するために、ヤボク河で天使と闘い、それに打ち勝つことによって、「勝利した」という意味をもって天から与えられた名であった(創三二・28)。ヤコブはこのように、アベルの立場を確立したのち、「実体献祭」に成功することによって、「メシヤのための家庭的な基台」を造成したのである。したがって、この基台の上で、その目的を継承した子孫たちをイスラエル選民というのである。ここでイスラエル選民というのは、信仰をもって勝利した民族を意味するものであり、ヤコブの血統的な子孫であるからといって、彼らのすべてをいうのではない。それゆえに洗礼ヨハネは、ユダヤ人たちに、「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ」(マタイ三・9)と言ったのである。のみならずパウロは、「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである」(ロマ二・28、29)と言い、また「イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではな」いと証言したのであった(ロマ九・6)。このみ言はつまり、神のみ旨のために生きもしないで、ただアブラハムの血統的な子孫であるという事実のみをもって、選民であるとうぬぼれているユダヤ人たちを、叱責したみ言であったのである。
それゆえに、ヤコブの子孫たちがモーセを中心として、エジプト人と戦いながらその地を出発したときには、イスラエル選民であったが、彼らが荒野で神に反逆したときには、もう既にイスラエルではなかったのである。したがって、神は彼らをみな荒野で滅ぼしてしまわれ、モーセに従ったその子孫たちだけをイスラエル選民として立て、カナンに入るようにされたのであった。そしてまた、その後のユダヤ民族はすべてがカナンの地に入った者の子孫たちであったが、そのうち神に背いた十部族からなる北朝イスラエルは、もはやイスラエル選民ではなかったので、滅ぼしてしまわれ、神のみ旨に従った二部族からなる南朝ユダだけがイスラエル選民となって、イエスを迎えるようになったのである。しかし、そのユダヤ人たちも、イエスを十字架に引き渡したことによって、イスラエル選民の資格を完全に失ってしまった。そこでパウロは、彼らに対して先に挙げたようなみ言をもって、選民というものの意義を明らかにしたのである。
それでは、イエスが十字架で亡くなられてからのちのイスラエル選民は、いったいだれなのであろうか。それは、とりもなおさず、アブラハムの信仰を受け継ぎ、その子孫が完遂できなかったみ旨を継承してきた、キリスト教信徒たちなのである。ゆえにロマ書一一章11節に「彼ら(ユダヤ人たち)の罪過によって、救が異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである」と言って、神の復帰摂理の中心が、イスラエル民族から異邦人に移されてしまったことを明らかにしているのである(使徒一三・46)。したがって、「再臨されるメシヤのための基台」を造成しなければならないイスラエル選民とは、アブラハムの血統的な子孫をいうのではなく、あくまでもアブラハムの信仰を継承したキリスト教信徒たちをいうのだということが分かるのである。

(二)イエスは東の国に再臨される
マタイ福音書二一章33節以下でイエスが比喩をもって言われたとおり、ユダヤ人たちはイエスを十字架に引き渡すことによって、ぶどう園の主人の息子を殺害した農夫の立場に陥ってしまったのであった。それではユダヤ人たちから奪った神の遺業を相続して実を結ぶ国はどの国なのであろうか。聖書はその国が「日の出づる方」すなわち東の方にあると教えているのである。
黙示録五章1節以下のみ言を見ると、神の右の手に、その内側にも外側にも文字が書かれてあり、七つの封印で封じられた巻物があるのであるが、しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見るにふさわしい者が、一人もいなかったので、ヨハネは激しく泣いたとある。そのときに小羊(イエス)が現れて、み座におられる方の右の手から巻物を受けとって(黙五・7)、その封印を一つずつ解きはじめられたのである(黙六・1)。
黙示録六章12節にイエスが第六の封印を解かれたことについて記録したのち、最後の封印を解かれる前の中間の挿話として、第七章が記録されたのであった。ところで、その七章2節から3節を見ると、日の出る方、すなわち東の方から天使が上ってきて、最後の審判において選ばれた者に印を押したが、その印を押された者の数が十四万四千だと言った。そして黙示録一四章1節には、その十四万四千人の群れと共に小羊、すなわちイエスがおられたと書かれている。我々はこれらの聖句から推測して、イエスは日の出る方、すなわち東方の国に誕生なさって、そこでまず選ばれた十四万四千の群れの額に、小羊と父の印を押されるということを(黙一四・1)知ることができる。したがって、神の遺業を受け継いで、イエスの再臨のための実を結ぶ国は(マタイ二一・43)東方にあるということが分かってくる。では、東方にある多くの国々の中で、どの国がこれに当たるのであろうか。

(三)東方のその国は、すなわち韓国である
今まで説明したように、イエスは、アブラハムの血統的な子孫たちに再臨されるのではなく、彼らの遺業を相続して実を結ぶ国に再臨されることを我々は知り、また、実を結ぶ国は、東方の国の中の一つであることも知った。古くから、東方の国とは韓国、日本、中国の東洋三国をいう。ところがそのうちの日本は代々、天照大神を崇拝してきた国として、更に、全体主義国家として、再臨期に当たっており、また、以下に論述するようにその当時、韓国のキリスト教を過酷に迫害した国であった(後編第五章第四節(三)(3)参照)。そして中国は共産化した国であるため、この二つの国はいずれもサタン側の国家なのである。したがって端的にいって、イエスが再臨される東方のその国は、すなわち韓国以外にない。それではこれから、韓国が再臨されるイエスを迎え得る国となる理由を原理に立脚して多角的に論証してみることにする。メシヤが降臨される国は、次のような条件を備えなければならないのである。

(1) この国は蕩減復帰の民族的な基台を立てなければならない
韓国がメシヤを迎え得る国となるためには、原理的に見て、天宙的なカナン復帰のための「四十日サタン分立の民族的な基台」を立てなければならないのである。
それでは、韓国民族がこの基台を立てなければならない根拠は何であるのか。イエスが韓国に再臨されるならば、韓国民族は第三イスラエル選民となるのである。旧約時代に、神のみ旨を信奉し、エジプトから迫害を受けてきた、アブラハムの血統的な子孫が第一イスラエルであり、第一イスラエル選民から異端者として追われながら、復活したイエスを信奉して、第二次の復帰摂理を継承してきたキリスト教信徒たちが第二イスラエル選民であった。ところが、ルカ福音書一七章25節以下に、イエスが再臨されるときにもノアのときと同じく、まず多くの苦難を受けるであろうと預言されたとおり、再臨のイエスは、第二イスラエル選民であるすべてのキリスト教信徒たちからも異端者として見捨てられるほかはないということを、我々は、既に論じたことを通じて知っているのである。もしそのようになるとすれば、あたかも、神が、イエスを排斥したユダヤ人たちを捨てられたように、再臨のイエスを迫害するキリスト教信徒たちも捨てられるほかはないであろう(マタイ七・23)。そうすれば、再臨主を信奉して、神の第三次摂理を完遂しなければならないその民族は、第三イスラエル選民となるのである。
ところで、第一イスラエルは、民族的カナン復帰路程を出発するための「四十日サタン分立基台」を立てるために、当時サタン世界であったエジプトで、四〇〇年間を苦役したのであった。これと同じく、第二イスラエルも、世界的カナン復帰路程を出発するための「四十日サタン分立基台」を立てるために、当時、サタンの世界であったローマ帝国で、四〇〇年間迫害を受けながら闘い勝利したのである。したがって、韓国民族も、第三イスラエル選民となり、天宙的なカナン復帰路程を出発するための「四十日サタン分立基台」を立てるためには、サタン側のある国家で、四十数に該当する年数の苦役を受けなければならないのであり、これがすなわち、日本帝国に属国とされ、迫害を受けた四十年期間であったのである。
それでは韓国民族は、どのような経緯を経て、日本帝国のもとで四十年間の苦役を受けるようになったのであろうか。韓国に対する日本の帝国主義的侵略の手は、乙巳保護条約によって伸ばされた。すなわち一九〇五年に、日本の伊藤博文と当時の韓国学部大臣であった親日派李完用らによって、韓国の外交権一切を日本帝国の外務省に一任する条約が成立した。そうして、日本は韓国にその統監(のちの総督)をおき、必要な地域ごとに理事官をおいて、一切の内政に干渉することによって、日本は事実上韓国から政治、外交、経済などすべての主要部門の権利を剥奪したのであるが、これがすなわち乙巳保護条約であった。
西暦一九一〇年、日本が強制的に韓国を合併した後には、韓国民族の自由を完全に剥奪し、数多くの愛国者を投獄、虐殺し、甚だしくは、皇宮に侵入して王妃を虐殺するなど、残虐無道な行為をほしいままにし、一九一九年三月一日韓国独立運動のときには、全国至る所で多数の良民を殺戮した。
さらに、一九二三年に発生した日本の関東大震災のときには、根も葉もない謀略をもって東京に居住していた無辜の韓国人たちを数知れず虐殺したのであった。
一方、数多くの韓国人たちは日本の圧政に耐えることができず、肥沃な故国の山河を日本人に明け渡し、自由を求めて荒漠たる満州の広野に移民し、臥薪嘗胆の試練を経て、祖国の解放に尽力したのであった。日本軍は、このような韓国民族の多くの村落を探索しては、老人から幼児に至るまで全住民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しにした。日本はこのような圧政を帝国が滅亡する日まで続けたのであった。このように、三・一独立運動で、あるいは満州広野で倒れた民衆は主としてキリスト教信徒たちであったのであり、さらに帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。しかし、日本の天皇が第二次大戦において敗戦を宣言することによって韓国民族は、ついにその軛から解放されたのである。
このように韓国民族は、一九〇五年の乙巳保護条約以後一九四五年解放されるときまで四十年間、第一、第二イスラエル選民が、エジプトやローマ帝国で受けたそれに劣らない迫害を受けたのである。そして、この独立運動が主に国内外のキリスト教信徒たちを中心として起こったので、迫害を受けたのが主としてキリスト教信徒たちであったことはいうまでもない。

(2) この国は神の一線であると同時にサタンの一線でなければならない
神は、アダムに被造世界を主管するようにと祝福されたので、サタンが堕落したアダムとその子孫たちを先に立たせて、その祝福型の非原理世界を先につくっていくことを許さないわけにはいかなくなったのである。その結果、神はそのあとを追いながらこの世界を天の側に復帰してこられたので、歴史の終末に至れば、この世界は、必然的に民主と共産の二つの世界に分かれるようになるということは、前に述べたとおりである。ところで、イエスは、堕落世界を創造本然の世界に復帰されるために再臨されるのであるから、まず再臨されるはずの国を中心として、共産世界を天の側に復帰するための摂理をなさるということは確かである。それゆえ、イエスが再臨される韓国は神が最も愛される一線であると同時に、サタンが最も憎む一線ともなるので、民主と共産の二つの勢力がここで互いに衝突しあうようになるのであり、この衝突する一線がすなわち三十八度線である。すなわち、韓国の三十八度線はこのような復帰摂理によって形成されたものである。
神とサタンの対峙線において、勝敗を決する条件としておかれるものが供え物である。ところで、韓国民族は天宙復帰のため、この一線におかれた民族的供え物であるがゆえに、あたかも、アブラハムが供え物を裂かなければならなかったように、この民族的な供え物も裂かなければならないので、これを三十八度線で裂き、「カイン」「アベル」の二つの型の民族に分けて立てたのである。したがって、この三十八度線は民主と共産の一線であると同時に、神とサタンの一線ともなるのである。それゆえ、三十八度線で起きた六・二五動乱(韓国動乱)は国土分断に基づく単純な同族の抗争ではなく、民主と共産、二つの世界間の対決であり、さらには神とサタンとの対決であった。六・二五動乱に国連加盟の多くの国家が動員されたのは、この動乱が復帰摂理の目的のための世界性を帯びていたので、無意識のうちに、この摂理の目的に合わせて韓国解放の事業に加担するためであったのである。
人間始祖が堕落するときに、天の側とサタンの側が一点において互いに分かれるようになったので、生と死、善と悪、愛と憎しみ、喜びと悲しみ、幸福と不幸なども、一点を中心として、長い歴史の期間において衝突しあってきたのであった。そうして、これらが、アベルとカインの二つの型の世界として、各々分離されることにより、民主と共産の二つの世界として結実したのであり、それらが再び韓国を中心として、世界的な規模で衝突するようになったのである。それゆえ、宗教と思想、政治と経済など、あらゆるものが、韓国において摩擦しあい、衝突して、大きな混乱を巻き起こしては、これが世界へと波及していくのである。なぜなら、先に霊界で起こったそのような現象が、復帰摂理の中心である韓国を中心として、実体的に展開され、それが世界的なものへと拡大していくようになるからである。しかし、イエスが「その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる」(マタイ二四・32)と言われたそのみ言のとおり、このような混乱が起こるというのは、新しい秩序の世界がくるということを目で見せてくれる、一つの前兆であるということを知らなければならない。
弟子たちがイエスに、その再臨される場所について質問したとき、イエスは、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」と答えられたのであった(ルカ一七・37)。神の一線であり、またサタンの一線である韓国で、永遠の命と死とが衝突するようになるので、はげたかで象徴されるサタンが死の群れを探し求めてこの土地に集まると同時に、命の群れを探し求めるイエスも、またこの土地に来られるようになるのである。

(3) この国は神の心情の対象とならなければならない
神の心情の対象となるためには、まず、血と汗と涙の道を歩まなければならない。サタンが人間を主管するようになってから、人間は神と対立するようになったので、神は子女を失った父母の心情をもって悲しまれながら悪逆無道の彼らを救おうとして、罪悪世界をさまよわれたのであった。そればかりでなく、神は、天に反逆する人間たちを救うために、愛する子女たちを宿敵サタンに犠牲として支払われたのであり、ついにはひとり子イエスまで十字架に引き渡さなければならないその悲しみを味わわれたのであった。それゆえに、神は、人間が堕落してから今日に至るまで、一日として悲しみの晴れるいとまもなく、そのため、神のみ旨を代表してサタン世界と戦う個人と家庭と民族とは、常に血と汗と涙の道を免れることがなかったのである。悲しまれる父母の心情の対象となって、忠孝の道を歩んでいく子女が、どうして安逸な立場でその道を歩むことができるであろうか。それゆえ、メシヤを迎え得る民族は、神の心情の対象として立つ孝子、孝女でなくてはならないので、当然血と汗と涙の路程を歩まなければならないのである。
第一イスラエルも苦難の道を歩み、第二イスラエルもそれと同じ路程を歩んだのであるから、第三イスラエルとなる韓国民族も、やはりまた、正にその悲惨な道を歩まざるを得ないのである。韓国民族が歩んできた悲惨な歴史路程は、このように神の選民として歩まなければならない当然の道であったので、実際には、その苦難の道が結果的に韓国民族をどれほど大きな幸福へ導くものとなったかもしれないのである。
つぎに、神の心情の対象となる民族は、あくまでも善なる民族でなければならない。韓国民族は単一血統の民族として、四〇〇〇年間悠久なる歴史を続け、高句麗、新羅時代など強大な国勢を誇っていたときにも侵攻してきた外国勢力を押しだすにとどまり、一度も他の国を侵略したことはなかった。サタンの第一の本性が侵略性であるということに照らしあわせてみれば、こうした面から見ても、韓国民族は天の側であることが明らかである。神の作戦は、いつも攻撃を受ける立場で勝利を獲得する。それゆえに、歴史路程において数多くの預言者や善人たちが犠牲にされ、またひとり子であられるイエスまでも十字架につけられたのであるが、結果的には、勝利は常に天の側に帰せられてきたのであった。第一次、第二次の世界大戦においても、攻撃を加えたのはサタン側であったが、勝利はすべて天の側に帰したのである。このように韓国民族は有史以来、幾多の民族から侵略を受けたのである。しかし、これはどこまでも韓国民族が天の側に立って最終的な勝利を獲得するためなのである。
韓国民族は先天的に宗教的天稟をもっている。そして、その宗教的な性向は常に現実を離れたところで現実以上のものを探し求めるものである。それゆえ、韓国民族は民度が非常に低かった古代から今日に至るまで敬天思想が強く、いたずらに自然を神格化することによって、そこから現実的な幸福を求めるたぐいの宗教は崇敬しなかった。そうして、韓国民族は古くから、忠、孝、烈を崇敬する民族性をもっているのである。この民族が「沈清伝」や「春香伝」を民族を挙げて好むのは、忠、孝、烈を崇敬する民族性の力強い底流からきた性向なのである。

(4) この国には預言者の証拠がなければならない
韓国民族に下された明白な預言者の証拠として、第一に、この民族は啓示によって、メシヤ思想をもっているという事実である。第一イスラエル選民は、預言者たちの証言によって(マラキ四・2〜5、イザヤ六〇・1〜22)、将来メシヤが王として来て王国を立て、自分たちを救ってくれるであろうと信じていたし、第二イスラエル選民たちもメシヤの再臨を待ち望みながら、険しい信仰の道を歩んできたのと同じく、第三イスラエル選民たる韓国民族も李朝五〇〇年以来、この地に義の王が現れて千年王国を建設し、世界万邦の朝貢を受けるようになるという預言を信じる中で、そのときを待ち望みつつ苦難の歴史路程を歩んできたのであるが、これがすなわち、 鄭鑑録信仰による韓国民族のメシヤ思想である。韓国に新しい王が現れるという預言であるので、執権者たちはこの思想を抑圧し、特に日本帝国時代の執権者たちは、この思想を抹殺しようとして、書籍を焼却するなどの弾圧を加えた。また、キリスト教が入ってきたのち、この思想は迷信として追いやられてきた。しかし、韓国民族の心霊の中に深く刻まれたこのメシヤ思想は、今日に至るまで連綿と受け継がれてきたのである。以上のことを知ってみれば、韓国民族が苦悶しつつ待ち望んできた義の王、正道令(神の正しいみ言をもってこられる方という意味)は、すなわち韓国に再臨されるイエスに対する韓国式の名称であった。神はいまだ韓国内にキリスト教が入ってくる前に、将来メシヤが韓国に再臨されることを「鄭鑑録」で教えてくださったのである。そして、今日に至ってこの本の多くの預言が聖書の預言と一致するという事実を、数多くの学者たちが確認するに至っている。
第二に、この民族が信じている各宗教の開祖が、すべてこの国に再臨するという啓示をその信徒たちが受けているという事実である。既に、前編第三章において詳述したように、文化圏発展史から見ても、あらゆる宗教は一つのキリスト教に統一されていくという事実からして、終末におけるキリスト教は今まで数多くの宗教の目的を完成させる最終的な宗教でなければならない。したがって、キリスト教の中心として再臨されるイエスは、そのすべての宗教の開祖たちが地上で成就しようとした宗教の目的を一括して完成されるのであるから、この再臨主は使命の立場から見て、あらゆる開祖たちの再臨者ともなるのである(前編第五章第二節(四))。したがって、多くの宗教において、啓示によって韓国に再臨すると信じられているそれらの開祖は、別の人物ではなく、実は、将来来られる再臨主ただ一人を指しているのである。すなわち、将来イエスが再臨されることを、仏教では弥勒仏が、儒教では真人が、天道教では崔水雲が、そして、「鄭鑑録」では正道令が顕現すると、教団ごとに各々、異なった啓示を受けてきたのである。
第三に、イエスの韓国再臨に関する霊通人たちの神霊の働きが雨後の竹の子のように起こっているという事実である。使徒行伝二章17節に、終末においては神の霊をすべての人に注ぐと約束されたみ言があるが、このみ言どおりの現象が韓国民族の中で起きているのである。それゆえに、数多くの修道者たちが雑霊界から楽園級霊界に至るまでの様々の層の霊人たちと接触するなかで、それぞれ、主の韓国再臨に関する明確な啓示を受けているのである。しかし、霊的な無知によって、いまだにこのような事実に少しも耳を傾けようとせず、深い眠りに陥っている人々がいる。それがすなわち、現キリスト教界の指導者たちなのである。これは、あたかも、イエス当時において、東方の博士や羊飼いたちは、啓示によって、メシヤ降臨に関する消息を聞き知っていたにもかかわらず、むしろだれよりも先にこのことを知らなければならなかった祭司長たちや、律法学者たちが、霊的な無知によって、このことを全く知らなかったのと軌を一にするといわなければなるまい。
イエスが「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました」(マタイ一一・25)と言われたのは、当時のユダヤ教界の指導者層の霊的な無知を嘆かれたと同時に、無知ではありながらも、幼な子のごとく純真な信徒たちに天のことを教示してくださった恩恵に対する感謝のみ言であった。そのときと同時性の時代に当たる今日の韓国教界においても、それと同じ事実が、より高次的なものとして反復されているのである。神は、幼な子のような平信徒たちを通じて、終末に関する天の摂理の新しい事実を、多く啓示によって知らせておられるのである。しかし、彼らがその内容を発表すれば、教職者たちによって異端と見なされ追放されるのでそのことに関しては、一切発表をせずに秘密にしているのが、今日の韓国キリスト教界の実情である。あたかもかつての祭司長や律法学者たちがそうであったように、今日の多くのキリスト教指導者たちは、聖書の文字を解く知識のみを誇り、多くの信者たちから仰がれることを好み、その職権の行使に満足するだけで、終末に対する神の摂理に関しては、全く知らないままでいるのである。このような痛ましい事実がまたとあろうか。

(5) この国であらゆる文明が結実されなければならない
既に述べたように(前編第三章第五節(一))、人間の霊肉両面にわたる無知を打開しようとして生じた宗教と科学、または、精神文明と物質文明が、一つの課題として解明されて初めて、人生の根本問題がみな解かれ、創造理想世界が建設されるようになるのである。ところで、イエスが再臨されてつくらなければならない新しい世界は、科学が最高度に発達した世界でなければならないから、復帰摂理の縦的な歴史路程において発達してきたあらゆる文明は、再臨されるイエスを中心とする社会で、横的に、一時に、その全部が復帰され、最高度の文明社会が建設されなければならない。したがって、有史以来、全世界にわたって発達してきた宗教と科学、すなわち、精神文明と物質文明とは、韓国を中心として、みな一つの真理によって吸収融合され、神が望まれる理想世界のものとして結実しなければならないのである。
第一に、陸地で発達した文明も韓国で結実しなければならない。したがって、エジプトで発祥した古代の大陸文明は、ギリシャ、ローマ、イベリヤなどの半島文明として移動し、その半島文明は再び英国の島嶼文明として移動するようになり、この島嶼文明は更に米国の大陸文明をつくったのち、日本の島嶼文明へと振り戻ったのであった。この文明の巡礼は、イエスが再臨される韓国で半島文明として終結されなければならない。
第二に、河川と海岸を中心とした文明も韓国が面する太平洋文明として結実しなければならない。ナイル河、チグリス河、ユーフラテス河などを中心として発達した河川文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルなどの地中海を中心とした文明として移動したのであり、この地中海文明は、再び、英国、米国を中心とした大西洋文明として移動したのであり、この文明は、アメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明として結実するようになるのである。
第三に、気候を中心とした文明も韓国で結実しなければならない。気候を中心にして見れば、あらゆる生物の活動と繁殖は、春から始まって、夏には繁茂し、秋には結実し、冬に至って蓄えるようになるのである。このような春、夏、秋、冬の変転は、年を中心としてのみあるのではなく、一日について見ても、朝は春、昼は夏、夕方は秋、夜は冬に、各々該当するのであり、人生一代の幼、青、壮、老もまた、そのような関係にあるのである。歴史の全期間もこのように進行するのであるが、それは、神がそのような季節的な造化の原則をもって被造世界を創造されたからである。
神が、アダムとエバを創造された時代は、春の季節に相当するときであった。したがって、人類の文明は、エデンの温帯文明から始まって、夏の季節に該当する熱帯文明に移り変わり、そのつぎには、秋の季節に該当する涼帯文明として移り変わったのち、最後には冬の季節に該当する寒帯文明として移り変わらなければならなかったのである。ところが、人間は堕落することによって、野蛮人と化してしまったので、温帯文明をつくることができず、直ちに熱帯で原始人の生活をするようになったため、エジプト大陸を中心とした熱帯文明を先につくるようになったのであった。そうして、この文明は、大陸から半島、島嶼へと移されて、涼帯文明をつくったのであり、これが再びソ連に渡って寒帯文明をつくるようになったのである。そうして今や、新時代の夜明けとともに、再び新しいエデンの温帯文明が、大きく開かれなければならないのであり、これは、当然、すべての文明が結実しなければならない韓国において成就されなければならないのである。


第四節 同時性から見たイエス当時と今日

イエスの初臨のときと彼の再臨のときとは、摂理的な同時性の時代である。それゆえに、今日のキリスト教を中心として起こっているすべての事情は、イエス当時のユダヤ教を中心として起こったあらゆる事情にごく似かよっている。
このような実例を挙げてみるならば、第一は、今日のキリスト教はユダヤ教と同じく、教権と教会儀式にとらわれている一方、その内容が腐敗しているという点である。イエス当時の祭司長と律法学者たちを中心とした指導者層は、形式的な律法主義の奴隷となり、その心霊生活が腐敗していたので、良心的な信徒であればあるほど、心霊の渇きを満たすために異端者として排斥されていたイエスに、蜂の群れのように従っていったのであった。このように、今日のキリスト教においても、教職者をはじめとする指導層が、その教権と教会儀式の奴隷となり、心霊的に日に日に暗がりの中に落ちこんでいくのである。ゆえに、篤実なキリスト教信徒たちは、このような環境を離れて、信仰の内的な光明を体恤しようとして、真なる道と新しい指導者を尋ねて、野山をさまよっているのが実態である。
つぎに、今日のキリスト教信徒たちも、イエスの初臨のときのユダヤ教徒と同じく、イエスが再臨されるならば、彼らが真っ先に主を迫害するようになる可能性があるということについては、前のところで既に詳しく論じたとおりである。イエスは預言者たちによってもたらされた旧約のみ言を成就されたのち、その基台の上で新しい時代をつくるための目的をもって来られた方であったので、彼は旧約のみ言のみを繰り返して論ずるだけにとどまらず、新しい時代のための新しいみ言を与えてくださったのであった。ところが、祭司長と律法学者たちは、イエスのみ言を旧約聖書の言葉が示す範囲内で批判したため、そこからもたらされるつまずきによって、ついにイエスを十字架に引き渡す結果にまで至ったのである。
これと同様に、イエスが再臨される目的も、キリスト教信徒たちが築いてきた新約時代の霊的な救いの摂理の土台の上に、新しい天と新しい地を建設されようとするところにあるために(黙二一・1〜4)、将来彼が再臨されれば、既に二〇〇〇年前の昔に語り給うた新約のみ言を再び繰り返されるのではなく、新しい天と新しい地を建設するために必要な、新しいみ言を与えてくださるに相違ないのである。しかし、聖書の文字のみにとらわれている今日のキリスト教信徒たちは、初臨のときと同じく、再臨主の言行を、新約聖書の言葉が示す範囲内で批判するようになるので、結局、彼を異端者として排斥し、迫害するであろうということは明白な事実である。イエスが再臨されるとき、まず多くの苦しみを受けるであろうと言われた理由は、正にここにあるのである(ルカ一七・25)。
また、イエスの再臨に関する啓示と、再臨されてから下さるみ言を受け入れる場合の様子に関しても、初臨のときと同じ現象が現れるようになるのである。すなわち、初臨のときに、神はメシヤが来られたという知らせを、祭司長や律法学者たちに与えられず、異邦の占星学者や純真な羊飼いたちに与えられたのであるが、これはあたかも、真の実子が無知であるために、やむを得ず、血統的なつながりをもたない義理の子に相談するというかたちとよく似ているといえよう。また、イエスの再臨に関する知らせも、因習的な信仰態度を固守している今日のキリスト教指導者たちよりは、むしろ平信徒たち、あるいは、彼らが異邦人として取り扱っている異教徒たち、そして、良心的に生きる未信者たちにまず啓示されるであろう。そして、初臨のときにイエスの福音を受け入れた人たちが、選民であったユダヤ教の指導者ではなく、賤民や異邦人であったように、イエスの再臨のときにも、選民であるキリスト教の指導者層よりも、むしろ平信徒、あるいは、非キリスト教徒たちが、まず彼のみ言を受け入れるようになるであろう。イエスが用意された婚宴に参席し得る人々が、前もって招待されていた客たちではなく、町の大通りで出会い、すぐに連れてこられる人々であるだろう、と嘆かれた理由は実にここにあったのである(マタイ二二・8〜10)。
つぎに、再臨のときにおいても、初臨のときと同様、天国を望んで歩みだした道でありながら、かえって地獄に行くようになる、そのような信徒たちが大勢いることであろう。祭司長や律法学者たちは、神の選民を指導すべき使命を担っているのであるから、メシヤが来られたということをだれよりも先に知り、率先してその選民を、メシヤの前に導かねばならなかったはずである。イエスは、彼らがこの使命を完遂することを期待されたので、まず、神殿を訪ねて、だれよりも先に彼らに福音を伝えられたのであった。しかし、彼らが受け入れなかったので、やむなくガリラヤの海辺をさまよわれながら、漁夫をもって弟子とされたのであり、そしてまた、主に罪人や取税人、そして遊女らの卑しい人々と応接するようになったのであった。そしてついに、祭司長や律法学者たちが、イエスを殺害するまでにことが至ったのである。これによって彼らは、神に対する逆賊を処刑したものと信じ、余生を聖職のために奉仕し、経文を暗唱しながら、所得の十分の一を神にささげ、祭典を行って、天国の道へと進んでいったのである。しかし、結局彼らが肉体を脱いで行きついた所は、意外にも、地獄であったのである。不幸にも彼らが天国へ行くつもりで歩みだしたその道が、彼らを地獄へと陥れてしまったのである。
このような現象が、終末においてもそのとおりに起こるということを知るにつけ、我々はだれしも、もう一度自分自身を深く反省せざるを得ないのである。今日の多くのキリスト教信徒たちは、各々、天国の道へと邁進している。しかし、一歩誤れば、その道は地獄へ通ずる道となってしまうのである。それゆえに、イエスは、終末において、主のみ名をもって悪鬼を追いだし、あらゆる奇跡を行うほど信仰の篤い聖徒たちに向かって「不法を働く者どもよ、行ってしまえ」(マタイ七・23)と責めるであろうと言われたのである。このような事実を知るようになると、今日のような歴史の転換期に生きている信徒たちほど危険な立場に立たされている者たちはいないといえるのである。彼らがもし、イエス当時のユダヤ人の指導者たちと同じくその信仰の方向を誤れば、今日までいかに篤実な信仰生活をしてきたとしても、それらはみな水泡に帰してしまわざるを得ないのである。それゆえに、ダニエルは「賢い者は悟るでしょう」(ダニエル一二・10)と語ったのである。


第五節 言語混乱の原因とその統一の必然性

人間が堕落しないで完成し、神をかしらに頂き、みながその肢体となって一つの体のような大家族の世界をつくったならば、この地球上で互いに通じあわない言語が生ずるはずはなかった。人間が、言語が異なるために、お互いに通じることができないようになったのは、結局、堕落により、神との縦的な関係が断ちきられるとともに、人間相互間の横的な関係もまた断ちきられてしまい、その結果、長い間、互いにかけ離れた地理的環境の中で、各々が別れ別れとなって相異なる民族を形成したためであった。また、最初は同一の言語を使っていたノアの子孫たちが、にわかに言語が通じなくなり、混乱を起こしたという聖書の記録があるが、そのいきさつは次のようなものであった。
神の前で罪を犯したノアの次子ハムの子孫であるカナン族が、サタンの目的を遂げようとしてバベルの塔を高く築きあげた。ところが、天の側にいたセムとヤペテの種族たちも、この工事に協助していたため、彼らをして、互いに意思を通ずることができないようにし、サタンの仕事に協力できないようにさせるために、神は彼らの言語を混乱させてしまわれたのである(創一一・7)。
一つの父母のもとにある同じ子孫として、同一の喜怒哀楽の感情をもっていながら、これを表現する言語が異なるために、互いに通じあうことができないということほど不幸なことはないであろう。それゆえに、再臨の主を父母として頂く、一つの大家族による理想世界がつくられるとするならば、当然言語は統一されなければならないのである。サタンの目的を高めようとしてつくられたバベルの塔によって、言語が混乱状態に陥ったのであるから、今度は、蕩減復帰の原則に従って、神のみ旨を高めるための天の塔を中心として、あらゆる民族の言語が、一つに統一されなければならないのである。それでは、その言語はどの国の言葉で統一されるのであろうか。その問いに対する答えはあまりにも明白である。子供は父母の言葉を覚えるものである。人類の父母となられたイエスが韓国に再臨されることが事実であるならば、その方は間違いなく韓国語を使われるであろうから、韓国語はすなわち、祖国語(信仰の母国語)となるであろう。したがって、あらゆる民族はこの祖国語を使用せざるを得なくなるであろう。このようにして、すべての人類は、一つの言語を用いる一つの民族となって、一つの世界をつくりあげるようになるのである。


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第五章 メシヤ再降臨準備時代  渋谷統一教会

第一節 宗教改革期
第二節 宗教および思想の闘争期
第三節 政治、経済および思想の成熟期
第四節 世界大戦

メシヤ再降臨準備時代とは、西暦一五一七年の宗教改革が始まったときから、一九一八年第一次世界大戦が終わるまでの四〇〇年間をいう。 この時代の性格に関する大綱は、同時性から見たメシヤ降臨準備時代との対照において既に論述したが、ここで、もう少し詳細に調べてみることにしよう。復帰摂理から見て、更に、この期間は宗教改革期、宗教および思想の闘争期、政治と経済および思想の成熟期などの三期間に区分される。

第一節 宗教改革期(一五一七〜一六四八)
(一)文芸復興
(二)宗教改革


西暦一五一七年、ドイツでルターが宗教改革の旗を揚げたときから、一六四八年、ウェストファリア条約によって新旧両教徒間の闘争が終わるまでの一三〇年の期間を、宗教改革期と称する。この期間の性格は、中世封建社会の所産である文芸復興と、宗教改革とによって形作られる。神が中世社会を通して成し遂げようとされた摂理の目的を成就できなくなったとき、これを新しい摂理歴史の方向へ転換させて、「再臨のメシヤのための基台」を造成していくに当たって中枢的な使命を果たしたのが、正に文芸復興(Renaissance)と宗教改革(Reformation)であった。したがって、これらに関することを知らなければ、この時代に関する性格を知ることができない。文芸復興と宗教改革が中世封建社会の所産であるとするならば、この社会が中世の人間の本性に、いかなる影響を与えてこれらのものを生みだすようになったのであろうか。
中世は、封建制度とローマ・カトリックの世俗的な堕落からくる社会環境によって、人間の本性が抑圧され、自由な発展を期待することができない時代であった。元来、信仰は、各自が神を探し求めていく道であるので、それは個人と神との間に直接に結ばれる縦的な関係によってなされるのである。それにもかかわらず、法王と僧侶の干渉と形式的な宗教儀式とその規範は、当時の人間の信仰生活の自由を拘束し、その厳格な封建階級制度は、人間の自由な信仰活動を束縛したのであった。そればかりでなく、僧侶の僧官売買と人民に対する搾取によって、彼らの生活は一層奢侈と享楽に流れた。したがって、法王権は一般社会の権力機関と何ら変わりない非信仰的な立場に立つようになり、彼らは国民の信仰生活を指導することができなくなったのである。このように、中世封建時代の社会環境は、人間の創造本性を復帰する道を遮っていた。ゆえに、このような環境の中に束縛されていた中世の人たちは、本性的にその環境を打ち破って、創造本性を復帰しようとする方向へ向かって動かざるを得なかったのである。このようにして、人間の本性は明らかに内外両面の性向をもって現れたのであるが、その創造原理的根拠はどこにあるかを調べてみることにしよう。
創造原理によれば、人間は神の二性性相に対する形象的な実体対象としてつくられたのであるから、神の本性相と本形状に似ている。また、その性相と形状は、内的なものと外的なものとの関係をもっている。人間は、このような内的な性相と外的な形状との授受作用によって生存するように創造されたので、このように創造された人間の本性も、内外両面の欲望を追求するようになる。それゆえに、神がこのような人間に対して復帰摂理をなさるときも、人間本性の両面の追求に対応する摂理をせざるを得ないのである。ところで、神は元来、人間の外的な肉身を先に創造され、その次に内的な霊人体を創造されたので(創二・7)、再創造のための復帰摂理も、外的なものから、内的なものへと復帰していく摂理をされるのである。既に、後編第一章で論述したように、堕落人間は、外的な「象徴献祭」をささげた基台の上においてのみ内的な「実体献祭」をささげることができ、ここで成功することによってのみ、更に内的な「メシヤのための基台」をつくり得るのであるが、その理由はここにあるのである。したがって、堕落人間を復帰されるに当たっても、旧約前時代には献祭により「僕の僕」としての立場(創九・25)を、旧約時代には律法により僕の立場(レビ二五・55)を、そして新約時代には信仰によって養子の立場(ロマ八・23)を、成約時代には心情によって真の子女の立場を復帰する、という順序で摂理を運ばれたのである(後編第二章第三節(三)(2))。また科学によって先に外的な社会環境を復帰しながら、続いて宗教を立てて内的な人間の心霊を復帰する摂理をなさる理由もここにある。天使と人間とが創造された順序を見ても、外的な天使長が先で、内的な人間があとであった。したがって、天使と堕落人間を復帰するに当たっても、先に外的な天使世界を立てて摂理なさることによって、人間の肉身を中心とした外的な実体世界を復帰なさり、その後続いて、霊人体を中心とした内的な無形世界を復帰するという順序で摂理をなさるのである。
「信仰基台」を復帰する、内的な使命を果たすべきであった法王たちの淪落によって、侵入したサタンを分立して、創造本性を復帰しようとした中世の人々は、その本性の内外両面の追求によって、中世的指導精神をカインとアベルの二つの型の思想の復古運動として分立させたのであった。その第一は、カイン型思想であるヘレニズムの復古運動であり、第二は、アベル型思想であるヘブライズムの復古運動である。ヘレニズムの復古運動は、人本主義の発現である文芸復興を引き起こし、ヘブライズムの復古運動は、神本主義の復活のための宗教改革を引き起こしたのである。では、ヘレニズムとヘブライズムの流れが、どのようにして歴史的に交流され、この時代に至ったのかということを先に調べてみることにしよう。
紀元前二〇〇〇年代に、エーゲ海のクレタ島を中心としてミノア文明が形成された。この文明はギリシャへ流入し、紀元前十一世紀に至っては、人本主義のヘレニズム(Hellenism)を指導精神とする、カイン型のギリシャ文明圏を形成したのである。これとほぼ同時代に、神本主義のヘブライズム(Hebraism)を指導精神とする、アベル型のヘブライ文明圏を形成したのであるが、このときが、すなわち統一王国時代であった。当時のイスラエルの王が「信仰基台」を立て、人民と共に神殿を奉ずることによってつくられる「実体基台」の上で「メシヤのための基台」を造成し、メシヤを迎えたならば、そのときにヘブライ文明圏はギリシャ文明圏を吸収して、一つの世界的な文明圏を形成したはずであった。しかし、彼らが神のみ意のとおりにその責任分担を遂行しなかったので、このみ旨は成就されなかったのである。それゆえに、彼らはバビロンに捕虜として捕らえられていったが、帰還したのち、紀元前三三三年ギリシャに属国とされたときから、紀元前六三年ギリシャ文明圏にあったローマの属国となり、イエスが降臨なさるまでの期間は、ヘブライズムがヘレニズムの支配を受ける立場にあった時代である。
前章で既に論述したように、ユダヤ人がイエスを信奉して、彼を中心として一つになったとすれば、当時のローマ帝国は、イエスを中心とするメシヤ王国を実現したはずであった。もし、そのようになったならば、そのときにヘブライズムはヘレニズムを吸収して、一つの世界的なヘブライ文明圏が形成されたはずであった。しかし、ユダヤ人がイエスに反逆してこの目的が成就されなかったので、ヘブライズムはそのままヘレニズムの支配下にとどまっていたのである。しかし、西暦三一三年に至り、コンスタンチヌス大帝がミラノ勅令を下してキリスト教を公認してからは、次第にヘレニズムを克服しはじめ、西暦七〇〇年代に至っては、ギリシャ正教文明圏と西欧文明圏を形成するようになったのである。
中世社会において、「信仰基台」を復帰すべき中心人物であった法王と国王たちが、もし堕落しなかったとすれば、そのときに「再臨のメシヤのための基台」がつくられ、ヘブライズムはヘレニズムを完全に吸収融合して、世界は一つの文明圏を形成したはずであった。しかし、既に論じたように、彼らの淪落によってヘブライズムを中心とする中世的指導精神がサタンの侵入を受けたので、神はサタン分立の摂理をなさらなければならなかったのである。ゆえに神は、あたかもアダムに侵入したサタンを分立なさるために、アダムをカインとアベルに分立されたように、このときにもその指導精神を二つの思想に再分立する摂理をされたのである。それがすなわち、カイン型のヘレニズムの復古運動と、アベル型のヘブライズムの復古運動であった。そしてこれらはついに、各々文芸復興と宗教改革として現れたのである。しかるにこの時代は、人本主義を主導理念とする文芸復興が起こるに従って、ヘレニズムがヘブライズムを支配する立場に立つようになったのである。そして、この時代は、メシヤ降臨準備時代において、ユダヤ民族がギリシャの属領となることにより、ヘレニズムがヘブライズムを支配した時代を、実体的な同時性として蕩減復帰する時代となるのである。あたかもカインがアベルに屈伏して、初めてアダムに侵入したサタンを分立させ、メシヤを迎えるための「実体基台」が造成できるように、カイン型であるヘレニズムがアベル型であるヘブライズムに完全に屈伏することによって、初めて中世的指導精神に侵入したサタンを分立させ、再臨主を迎えるための「実体基台」が世界的に造成されるのである。

(一)文芸復興
中世社会の人々の本性から生ずる外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こし、この運動によって文芸復興が勃興してきたことについては既に論述した。それでは、その本性の外的な追求は何であり、また、どのようにして人間がそれを追求するようになったかを調べてみることにしよう。
創造原理によれば、人間は、神も干渉できない人間自身の責任分担を、自由意志によって完遂することにより初めて完成されるように創造されたので、人間は本性的に自由を追求するようになる。また、人間は、自由意志によって自分の責任分担を完遂し、神と一体となって個性を完成することにより、人格の絶対的な自主性をもつように創造された。ゆえに、人間は、本性的にその人格の自主性を追求するようになっている。そして、個性を完成した人間は、神から何か特別の啓示を受けなくても、理知と理性によって神のみ旨を悟り、生活するように創造されているので、人間は本性的に理知と理性を追求するようになる。人間はまた、自然界を主管するように創造されたので、科学により、その中に潜んでいる原理を探求して、現実生活の環境を自ら開拓しなければならない。したがって、人間は本性的に自然と現実と科学とを追求するようになるのである。
しかるに、中世社会の人々は、その封建制度による社会環境によって彼らの本性が抑圧されていたために、その本性の外的な欲望によって、上に見たような事柄を更に強く追求するようになったのである。また上述のように、中世の人々は十字軍戦争以来、東方から流入してきたヘレニズムの古典を研究するようになったが、ギリシャの古代精神が、すなわち、人間の自由、人格の自主性、理知と理性の尊厳性と、自然を崇拝し、現実に重きをおいて科学を探求することなど、人間の本性の外的な追求によるものであったので、これらがそのまま中世の人々の本性的な欲望に合致して、ヘレニズムの復興運動は激しく勃興し、ついには人本主義が台頭するようになったのである。「ルネッサンス」とは、フランス語で、「再生」または「復興」という意味である。このルネッサンスは、十四世紀ごろから、ヘレニズムに関する古典研究の本場であるイタリアにおいて胎動しはじめた。この人本主義運動は、初めは中世の人々をギリシャの古代に帰らせ、その精神を模倣させようとする運動から始まったが、それが進むにつれて、この運動は古典文化を再生し、中世的社会生活に対しての改革運動に変わり、また、これは単に文化の方面だけにとどまったのではなく、政治、経済、宗教など、社会全般にわたる革新運動へと拡大され、事実上、近代社会を形成する外的な原動力となったのである。このように、人間本性の外的な欲望を追求する時代的な思潮であった人本主義(あるいは人文主義)が、封建社会全般に対する外的な革新運動として展開された現象をルネッサンス(文芸復興)と呼ぶのである。

(二)宗教改革
中世社会における法王を中心とする復帰摂理は、法王と僧侶の世俗的な堕落によって成就することができなかった。そして上述のように、中世の人々が人本主義を唱えるにつれて、人々は人間の自由を束縛する形式的な宗教儀式と規範とに反抗し、人間の自主性を蹂躙する封建階級制度と法王権に対抗するようになったのである。さらにまた、彼らは人間の理性と理知を無視して、何事でも法王に隷属させなければ解決できないと考える固陋な信仰生活に反発し、自然と現実と科学を無視する遁世的、他界的、禁欲的な信仰態度を排撃するようになった。こうしてついに、中世のキリスト教信徒は法王政治に反抗するようになったのである。
このようにして、中世社会の人々がその本性の外的な欲望を追求するにつれて、その反面、抑圧されていた本性の内的な欲望をも追求するようになり、ついには、使徒たちを中心として神のみ旨のみに従った熱烈な初代キリスト教精神への復古を唱えるようになった。これがすなわち、中世におけるヘブライズムの復古運動である。そうして、十四世紀に、英国のオックスフォード大学の神学教授ウィクリフ(Wycliffe 1324〜1384)は聖書を英訳して、信仰の基準を法王や僧侶におくべきでなく、聖書自体におくべきであると主張すると同時に、教会の制度や儀式や規範は聖書に何らの根拠をおくものでもないことを証言して、僧侶の淪落と、その民衆に対する搾取および権力の濫用を痛撃した。
このように宗教改革運動は、十字軍戦争によって法王の権威が落ちたのち、十四世紀から既に英国で胎動しはじめ、十五世紀にはイタリアでもこの運動が起こったのであるが、それらはみな失敗に終わり、その中心人物たちは処刑されてしまったのである。その後一五一七年、法王レオ十世が、聖ペテロ寺院の建築基金を募集するために、死後に救いを受ける贖罪の札であると宣伝して免罪符を売るようになると、この弊害に対する反対運動が導火線となって、結局ドイツにおいてウィッテンベルク大学の神学教授であったマルティン・ルター(Martin Luther 1483〜1546)を中心として宗教改革運動が爆発したのであった。この革命運動ののろしは次第に拡大され、フランスではカルヴィン(Calvin 1509〜1564)、スイスではツウィングリ(Zwingli 1484〜1531)を中心として活発に伸展し、イギリス、オランダなどの諸国へと拡大されていったのである。
このように、新教運動を中心として起こった国際間の戦いは百余年間も継続してきたが、ドイツを中心として起こった三十年戦争が一六四八年ウェストファリア条約によってついに終結し、ここにおいて新旧両教徒間の戦いに一段落がついたのである。その結果、北欧はゲルマン民族を中心として新教が勝利を得、南欧はラテン民族を中心とする旧教の版図として残るようになったのである。
この三十年戦争は、ドイツを中心とするプロテスタントとカトリック教徒間に起こった戦いであった。しかし、この戦争は単なる宗教戦争にとどまったのではなく、ドイツ帝国の存廃を決する政治的な内乱でもあった。したがって、この戦争を終結させたウェストファリア講和会議は、新旧両教派に同等の権限を与える宗教会議であると同時に、ドイツ、フランス、スペイン、スウェーデン諸国間の領土問題を解決する政治的な国際会議でもあったのである。

第二節 宗教および思想の闘争期(一六四八〜一七八九)
(一)カイン型の人生観
(二)アベル型の人生観


この期間は、西暦一六四八年ウェストファリア条約によって新教運動が成功して以後、一七八九年フランス革命が起こるまでの一四〇年期間をいう。文芸復興と宗教改革によって人間本性の内外両面の欲望を追求する道を開拓するようになった近世の人々は、信教と思想の自由から起こる神学および教理の分裂と、哲学の戦いを免れることができなくなっていた。
ところで、今まで後編で述べてきたように、復帰摂理は、長い歴史の期間を通じて、個人から世界に至るまでカインとアベルの二つの型の分立摂理によって成し遂げられてきた。したがって、歴史の終末においても、この堕落世界は、カイン型の共産主義世界と、アベル型の民主主義世界に分立されるのである。そして、ちょうど、カインがアベルに従順に屈伏して初めて「実体基台」が成し遂げられるように、このときにもカイン型の世界がアベル型の世界に屈伏して初めて、再臨主を迎えるための世界的な「実体基台」が成就されて、一つの世界を復帰するようになるのである。このように、カインとアベルの二つの型の世界が成り立つには、そのための二つの型の人生観が確立されなければならないが、この二つの型の人生観は、実にこの期間に確立されたのであった。

(一)カイン型の人生観
人間本性の外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こして人本主義を生みだした。そして、この人本主義を基盤にして起こった反中世的な文芸復興運動は、神への帰依と宗教的な献身を軽んじ、すべてのことを自然と人間本位のものに代置させたのである。すなわち、神に偏りすぎて自然や人間の肉身を軽視し、それらを罪悪視するまでに至った中世的な人生観から、理性と経験による合理的な批判と実証的な分析を通じて人間と自然を認識することにより、彼らの価値を高める人生観を確立したのである。このような人生観は、自然科学の発達からくる刺激により、人生に対する認識と思惟の方法論において二つの形式をたどるようになった。そしてこれらが近世哲学の二大潮流をつくったのであるが、その一つは演繹法による理性論であり、もう一つは帰納法による経験論である。
フランスのデカルト(Descartes 1596〜1650)を祖とする理性論は、すべての真理は人間が生まれながらにもっている理性によってのみ探求されると主張した。彼らは歴史性や伝統を打破して演繹法を根拠とし、「我思う、ゆえに我あり」という命題を立てて、これから演繹することによって初めて外界を肯定しようとしたのである。したがって、彼らは神や世界や自分までも否定する立場に立とうとしたのである。これに対して、イギリスのベーコン(Francis Bacon 1561〜1626)を祖とする経験論は、すべての真理は経験によってのみ探求されると主張した。人間の心はちょうど白紙のようなもので、新しい真理を体得するには、すべての先入観を捨てて実験と観察によって認識しなければならないとしたのである。このように、神から離れて理性を重要視する合理主義思想と、経験に基盤をおく人間中心の現実主義思想は、共に神秘と空想を排撃して、人間生活を合理化しながら現実化し、自然と人間とを神から分離させたのである。
このような文芸復興は、人文主義から流れてきた二つの思潮に乗って、人間がその内的な性相に従って神の国を復帰しようとするその道を遮り、外的な性向のみに従ってサタンの側に偏る道を開く人生観を生みだした。これが正にカイン型の人生観であった。このカイン型の人生観は、十八世紀に至っては、歴史と伝統を打破して人生のすべてを理性的または現実的にのみ判断し、不合理なもの、非現実的なものを徹底的に排撃し、神を否定する合理的な現実にのみ重きをおくようになったのである。これがすなわち啓蒙思想であった。このような経験論と理性論を主流として発展した啓蒙思想がフランス革命の原動力となったのである。
このようなカイン型の人生観の影響を受けて、イギリスではハーバート(Herbert 1583〜1648)を祖とする超越神教(Deism=理神論)が起こった。トマス・アクィナス(Thomas Aquinas 1224〜1274)以来、天啓と理性の調和に基礎をおいて発展した神学に対し、超越神教は単純に、理性を基礎とした神学を立てようとしたのである。彼らの神観は、単純に、神を、人間と宇宙を創造したという一つの意義にのみ局限させようとし、人間において神の啓示や奇跡は必要ないと主張した。
十九世紀の初め、ドイツのヘーゲル(Hegel 1770〜1831)は十八世紀以後に起こった観念論哲学を大成した。しかし、このヘーゲル哲学も、啓蒙思想を土台としてフランスで起こった無神論と唯物論の影響を受けて、彼に反対するヘーゲル左派の派生をもたらした。このヘーゲル左派は、ヘーゲルの論理を翻し、今日の共産世界をつくった弁証法的唯物論の哲学を体系化したのである。ヘーゲル左派であるシュトラウス(D.F.Strauss 1808〜1874)は『イエス伝』を著述して、聖書に現れた奇跡は後世の捏造であるとして否定し、フォイエルバッハ(Feuerbach 1804〜1872)は彼の『キリスト教の本質』の中で、社会的または経済的与件が宗教発生の原因になると説明した。このような学説が唯物論の基礎を形成したのである。
マルクス(Marx 1818〜1883)とエンゲルス(Engels 1820〜1895)は、シュトラウスやフォイエルバッハの影響を受けたが、それよりもフランスの社会主義思想から大きな影響を受けて弁証法的唯物論を提唱し、文芸復興以後に芽生えはじめて、啓蒙思潮として発展してきた無神論と唯物論とを集大成するに至った。その後、カイン型の人生観は一層成熟して、今日の共産主義世界をつくるようになったのである。

(二)アベル型の人生観
我々は、中世社会から近代社会への歴史の流れを見るとき、それが神や宗教から人間を分離、あるいは独立させる過程であるとのみ考えがちである。これは、どこまでも中世社会人の本性の外的な追求によって起こったカイン型の人生観にのみ立脚して見たからである。しかし、中世の人々の本性的な追求は、このような外的なものにばかりとどまったのではなく、より深く内的なものをも追求するようになったのである。彼らの本性の内的な追求が、ヘブライズムの復古運動を発生せしめることによって宗教改革運動を起こし、この運動によって哲学と宗教は創造本性を指向する立体的な人生観を樹立したのであった。これを我々は、アベル型の人生観という。したがって、カイン型の人生観は、中世の人々を神と信仰から分離、あるいは独立させる方向へ傾かせたが、このアベル型人生観は、彼らをして一層高次的に神の側へ指向するように導いてくれたのである。
ドイツのカント(Kant 1724〜1804)は、お互いに対立してきた経験論と理性論を吸収して新たに批判哲学を打ち立て、内外両面を追求する人間本性の欲望を哲学的に分析して、哲学的な面でアベル型の人生観を開拓した。すなわち、我々の多様な感覚は対象の触発によって生ずるが、これだけでは認識の内容を与えるだけで、認識自体は成立し得ない。この認識が成立するためには、多様な内容(これは後天的であり経験的なものである)を一定の関係によって統一する形式がなければならない。その形式がまさしく自分の主観である。ゆえに、思惟する能力、すなわち自己の悟性の自発的な作用により、自己の主観的な形式(これは先天的であり超経験的である)をもって、対象からくる多様な感覚を統合、統一するところに認識が成立するとした。このようにカントは、対象により主観を形成するという従来の模写説を翻して、主観が対象を構成するという学説を提唱したのである。こうしたカントの学説を受け、彼の第一後継者であるフィヒテ(Fichte 1762〜1814)をはじめ、シェリング(Schelling 1775〜1854)、ヘーゲルなどが輩出したが、特にヘーゲルはその弁証法で哲学の新しい面を開拓した。彼らのこのような観念論は、哲学的な面におけるアベル型の人生観を形成したのである。
宗教界においては、当時の思潮であった合理主義の影響下の宗教界の傾向に反対して、宗教的情熱と内的生命を重要視し、教理と形式よりも神秘的体験に重きをおく、新しい運動が起こるようになった。その代表的なものは第一に敬虔主義(Pietism)で、これはドイツのシュペーネル(Spener 1635〜1705)を中心として起こったが、正統的信仰に従おうとする保守的な傾向が強く、神秘的な体験に重きをおいたのであった。また、この敬虔派の運動がイギリスに波及し、英国民の生活の中に染みこんでいた宗教心と融和して、ウェスレイ(J. Wesley 1703〜1791)兄弟を中心とするメソジスト派(Methodists)を起こすようになったのである。この教派は、沈滞状態に陥っていた当時の英国教会に大きな復興の気運を起こしたのであった。
また英国には、神秘主義者フォックス(Fox 1624〜1691)を祖とするクェーカー派(Quakers)が生じた。フォックスは、キリストは信徒の霊魂を照らす内的な光である、と主張して、聖霊を受けてキリストと神秘的に結合し、内的光明を体験しなければ聖書の真意を知ることができないと主張した。この教派は、アメリカ大陸でも多くの迫害を受けながら布教を行ったのである。つぎに、スウェーデンボルグ(Swedenborg 1688〜1772)は著名な科学者でありながら霊眼が開け天界の多くの秘密を発表した。彼の発表は、長い間神学界で無視されてきたが、最近に至って霊界に通ずる人が増加するにつれて、次第にその価値が再認識されるようになってきた。このように、アベル型の人生観は成熟して、今日の民主主義世界をつくるようになったのである。

第三節 政治、経済および思想の成熟期(一七八九〜一九一八)
(一)民主主義
(二)三権分立の原理的意義
(三)産業革命の意義
(四)列国の強化と植民地の分割
(五)文芸復興に伴う宗教、政治および産業革命


前の時期において、宗教および思想の闘争はカイン、アベル二つの型の人生観を樹立してきたが、この時期に至ると、この二つの人生観はそれぞれの方向に従って成熟するようになった。そして、それらの思想の成熟につれて、カイン、アベルの二つの世界が形成されていったのである。社会の構造もこの二つの人生観に立脚した社会形態へと整理されて、政治、経済、思想も理想社会へと転換され得る前段階にまで進展した。フランス革命とイギリスの産業革命以後、第一次世界大戦が終わるころまでがこのような摂理期間であったのである。

(一)民主主義
歴史発展の観点から見た民主主義に関しては既に前章で論述した。しかし、それはどこまでも民主主義が出てくるまでの外的な経緯であった。我々はこのような歴史の発展の中で、いかなる思想の流れに乗って今日の民主主義が出てくるようになったのか、その内的な経緯を調べてみることにしよう。
既に後編第四章第七節(二)で論じたように、キリスト王国時代において、法王を中心とした霊的な王国と、国王を中心とした実体の王国とが一つとなり、メシヤ王国のための君主社会をつくって「メシヤのための基台」をつくったならば、そのときに封建時代は終わったはずであった。しかし、この摂理が成し遂げられなかったので、この時代は延長され、政治史と宗教史と経済史とが互いに分立された路程に従って発展するようになったのである。中世封建時代において地方の諸侯たちに分散されていた政治権力は、十字軍戦争以後衰えはじめ、文芸復興と宗教改革を経て、啓蒙期に至っては一層衰微したのであった。十七世紀中葉に至ると、諸侯たちは民族を単位とする統一国家を立てて国王のもとに集中し、中央集権による絶対主義国家(専制主義国家)を形成するようになったのである。この時代は、王権神授説などの影響で、国王に絶対的な権限が賦与されていた専制君主時代であった。この時代が到来するようになった原因を社会的な面から見るならば、それは、第一に、市民階級が国王と結合して、封建階級と対抗するためであり、第二には、経済的な活動において、貿易経済が支配的なものとなったために、封建制度から抜けだした強力な国家の背景を必要とし、また、国民の全体的な福利のために、強力な国家の保護と監督による、重商主義経済政策が要望されるところにあったのである。また、復帰摂理から歴史発展を考えてみると、封建時代以後には、天の側の君主社会が成就されなければならなかったのであるが、この時代には法王と国王とが一つになれなかったので、この社会は完成されず、法王を中心とする社会は(次になさんとする神の側の摂理を)サタンが先に成し遂げていくという型どおりの路程に従って、サタン側の専制君主社会へと転化されたのである。
カイン型の人生観を中心とする共産世界と、アベル型の人生観を中心とする民主世界を成し遂げていく復帰摂理の立場から、専制君主社会の帰趨を考察してみることにしよう。中世封建時代は、ヘブライズムとも、ヘレニズムとも、同様に相いれぬ社会であったので、この二つの思想は共同でそれを打ち破り、カイン、アベル二つの型の人生観に立脚した二つの型の社会を樹立したのであった。そのように、専制君主社会も、やはり、宗教改革以後のキリスト教民主主義による信教の自由を束縛したので、それはアベル型人生観の目的達成に反する社会であるとともに、またこの社会は、その中に依然として残っていた封建制度が、無神論者と唯物論者たちが指導する市民階級の発展を遮るものであったので、カイン型人生観の目的達成に反する社会でもあった。ゆえにこの二つの型の人生観は共に、この社会を打破する方向に進み、ついには、カイン、アベル二つの型の民主主義に立脚した共産と民主の二つの型の社会を形成したのである。

(1) カイン型の民主主義
カイン型の民主主義は、フランス革命によって形成された。したがって、この問題を論ずるためには、まずフランス革命について論じなければならない。当時フランスは、カイン型の人生観の影響によって、無神論と唯物論の道へと流れこんだ啓蒙思想が、怒濤のように押し寄せた時代であった。したがって、このような啓蒙思想に染まっていた市民階級は、絶対主義に対する矛盾を自覚するようになり、それに従って、絶対主義社会内にまだ深く根を下ろしている旧制度の残骸を、打破しようとする意識が潮のように高まっていたのである。
そこで市民たちが、一七八九年、啓蒙思想の横溢により絶対主義社会の封建的支配階級を打破すると同時に、第三階級(市民)の自由平等と解放のために、民主主義を唱えながら起こった革命が、すなわち、フランス革命であった。この革命により、「人権宣言」が公表されることによって、フランスの民主主義は樹立されたのである。しかし、フランス革命による民主主義は、あくまでもカイン型の人生観を立てるために、唯物思想に流れこんだ啓蒙思想が、絶対主義社会を打破しながら出現したものであるから、これをカイン型の民主主義というのである。ゆえに、啓蒙思想の主要人物たちもそうであったが、フランス革命の思想家ディドロ(Diderot 1713〜1784)や、ダランベール(D、Alembert 1717〜1783)なども無神論、または唯物論系の学者たちであった。この革命のいきさつを見ても分かるように、フランスの民主主義は、個性の自由と平等よりも、全体主義へと転化される傾向性を内包していたのである。このようにカイン型の人生観は啓蒙思想を立ててフランス革命を起こし、カイン型の民主主義を形成した。これが神の側に復帰しようとする人間本性の内的な追求の道を完全に遮り、外的にばかりますます発展し、ドイツでのマルクス主義とロシアでのレーニン主義として体系化されることにより、ついには共産主義世界を形成するに至ったのである。

(2) アベル型の民主主義
イギリスやアメリカで実現された民主主義は、フランス大革命によって実現された民主主義とはその発端から異なっている。後者はカイン型人生観の所産である無神論および唯物論の主唱者たちが、絶対主義社会を打破することによって実現したカイン型の民主主義である。これに対して前者は、アベル型人生観の結実体である熱狂的なキリスト教信徒たちが信教の自由を求めるために絶対主義と戦い、勝利して実現したアベル型の民主主義であったのである。
それでは、イギリスやアメリカでは、どのようにしてアベル型の民主主義を樹立したかということを調べてみることにしよう。イギリスでは、チャールズ一世が専制主義と国教を強化することによって、多くの清教徒たちが圧迫を受け、信仰の自由を求めて、ヨーロッパ内の他国、または、新大陸へ移動したのであった。かつてスコットランドでは、宗教的な圧迫を受けた一部の清教徒が国民盟約を決議して国王に反抗した(一六四〇年)。そののちイングランドでは、議会の核心であった清教徒が、クロムウェル(Cromwell 1599〜1658)を中心として清教徒革命を起こしたのである(一六四二年)。そればかりでなく、ジェームズ二世の専制と国教強化が激しくなるに従って、オランダの総督であった彼の婿オレンジ公ウイリアム(William III 1650〜1702)は、一六八八年に軍隊を率い、信仰の自由と民権の擁護のためイギリスに上陸し、無血で王位に上ったのであった。ウイリアムが王位につくや否や、彼は仮議会に上申された「権利の宣言」を承認し、議会の独立的な権利を認定し、のち、この宣言は「権利の章典」として公布され、英国憲法の基本となったのである。この革命は無血で成功したのでこれを名誉革命という。このように、イギリスにおけるこの革命は、外的に見ればもちろん市民階級が貴族、僧侶など大地主階級から政治的な自由と解放を獲得しようとするところにその原因があったけれども、それよりももっと主要な原因は、そのような革命を通じて内的な信仰の自由と解放を求めようとするところにあったのである。
また、イギリスの専制主義王制のもとで弾圧を受けていた清教徒たちが、信仰の自由を得るためにアメリカの新大陸へ行き、一七七六年に独立国家を設立してアメリカの民主主義を樹立したのであった。このように、英米で樹立された民主主義は、アベル型の人生観を中心として、信仰の自由を求めるために、絶対主義社会を改革しようとする革命によって樹立されたので、これをアベル型の民主主義という。このようにしてアベル型の民主主義は今日の民主主義世界を形成するようになったのである。

(二)三権分立の原理的意義
三権分立思想は、絶対主義の政治体制によって、国家の権力が特定の個人や機関に集中するのを分散させるために、啓蒙思想派の重鎮であったモンテスキュー(Montesquieu 1689〜1755)によって提唱されたが、これはフランス革命のとき「人権宣言」の宣布によって実現された。しかし元来、この三権分立は、天の側で成し遂げようとした理想社会の構造であって、復帰摂理の全路程がそうであるように、これもまたサタン側で、先に非原理的な原理型として成し遂げたのである。それでは、我々はここで、理想社会の構造がどのようなものであるかを調べてみることにしよう。
創造原理で明らかにしたように、被造世界は完成した人間一人の構造を基本として創造された。そればかりでなく、完成した人間によって実現される理想社会も、やはり完成した人間一人の構造と機能に似ているようになっているのである。人体のすべての器官が頭脳の命令によって起動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によってのみ営為されなければならない。また、頭脳からくるすべての命令が、脊髄を中心として末梢神経を通じて四肢五体に伝達されるように、神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない。そして人体における、脊髄を中心とする末梢神経は、一つの国家の政党に該当するので、理想社会における、政党に該当する役割は、キリストを中心とする聖徒たちが果たすようになっているのである。
肺臓と心臓と胃腸が、末梢神経を通じて伝達される頭脳の命令に従って、お互いに衝突することなく円満な授受の作用を維持しているように、この三臓器に該当する理想社会の立法、司法、行政の三機関も、政党に該当するキリストを中心とする信徒たちを通じて伝達される神の命令によって、お互いに原理的な授受の関係を結ばなければならない。人間の四肢が頭脳の命令に従い、人間の生活目的のために活動しているように、四肢に該当する経済機構は、神の命令に従い、理想社会の目的を達成するために実践する方向へと動かなければならない。また、人体において、肝臓が全身のために栄養を貯蔵するように、理想社会においても、常に全体的目的達成のために必要な貯蓄をしなければならないのである。
しかしまた、人間の四肢五体が、頭脳と縦的な関係をもち、肢体の間で自動的に横的な関係を結びながら、不可分の有機体をつくっているように、理想社会においても、あらゆる社会の人々が神と縦的な関係を結ぶことによって横的な関係をも結ぶようになるので、喜怒哀楽を共にする一つの有機体をつくるようになるのである。それゆえに、この社会においては、他人を害することが、すなわち自分を害する結果をもたらすことになるので、罪を犯すことができないのである。
我々はまた、復帰摂理がこの社会構造をどのようなかたちで復帰してきたかということを調べてみよう。西欧における歴史発展の過程を見れば、立法、司法、行政の三権と政党の機能を国王一人が全部担当してきた時代があった。しかし、これが変遷して国王が三権を掌握し、法王を中心とする教会が政党のような使命を担当する時代に変わったのである。この時代の政治制度は、再びフランス革命により、立法、司法、行政の三権に分立され、政党が明白な政治的使命をもつようになり、民主主義立憲政治体制を樹立して、理想社会の制度の形態だけは備えるようになったのである。
このように、長い歴史の期間を通じて政治体制が変遷してきたのは、堕落した人間社会が、復帰摂理によって、完成した人間一人の構造と機能に似た理想社会へと復帰されていくからである。このようにして今日の民主主義政体は、三権に分立され、また政党が組織されることによって、ついに人間一人の構造に相似するようになったが、それはあくまでも、復帰されていない堕落人間と同じように、創造本然の機能がまだ発揮されずにいるのである。すなわち、政党は神のみ旨を知っていないのであるから、それは頭脳の命令を伝達することができなくなった脊髄と、それを中心とする末梢神経と同様のものであるといえるのである。すなわち、憲法が神のみ言から成り立っていないので、立法、司法、行政の三機関は、あたかも神経系統が切れて、頭脳からくる命令に感応できなくなった三臓器のように、それらは相互間の調和と秩序を失って、常に対立し、衝突するほかはないのである。
ゆえに、再臨理想の目的は、イエスが降臨することにより、堕落人間一人の構造に似ている現在の政治体制に完全な中枢神経を結んでやることによって、神のみ旨を中心とした本然の機能を完全に発揮させようとするところにあるのである。

(三)産業革命の意義
神の創造理想は、単に罪のない社会をつくることだけで成し遂げられるのではない。人間は、万物を主管せよと言われた神の祝福のみ言どおり(創一・28)、被造世界に秘められている原理を探求し、科学を発達させて、幸福な社会環境をつくっていかなければならないのである。既に前編で論じたように、堕落人間の霊肉両面の無知に対する克服は、宗教と科学が各々担当して理想社会を復帰してきたので、歴史の終末には、霊的な無知を完全に除去できるみ言が出なければならないとともに、肉的な無知を完全に除去できる科学が発達して、理想社会を成し遂げ得る前段階の科学社会を建設しなければならないのである。このような神の摂理から見ても英国の産業革命は、どこまでも理想社会の生活環境を復帰するための摂理から起こったものだ、ということを知ることができる。
理想社会の経済機構も、完成された人体の構造と同様でなければならないのであるから、前にも述べたとおり、生産と分配と消費は、人体における胃腸と心臓と肺臓のように、有機的な授受の関係をもたなければならない。したがって、生産過剰による破壊的な販路競争とか、偏った分配によって全体的な生活目的を害する蓄積や消費をしてはならないのである。ゆえに、必要かつ十分な生産と、公平にしてしかも過不足のない分配と、全体的な目的のための合理的な消費をしなければならない。
ところで、産業革命による大量生産は、イギリスをして商品市場と原料供給地としての広大な植民地を急速度に開拓せしめた。そして、産業革命は理想社会のための外的な環境復帰ばかりでなく、福音伝播のための広範囲な版図をつくって内的な復帰摂理の使命をも果たしたのである。

(四)列国の強化と植民地の分割
文芸復興以後、カイン、アベルの二つの型に分かれて成熟してきた人生観は、各々二つの型の政治革命を起こし、二つの型の民主主義を樹立した。この二つの型の民主主義は、みなイギリスの産業革命の影響を受けながら急速度に強化され、民主と共産二つの系列の世界を形成していくようになった。
すなわち、産業革命に引き続き、飛躍的な科学の発達につれて起こった工業の発達は、生産過剰の経済社会を招来した。そして、過剰な生産品の販路と工業原料の獲得のための新地域の開拓を必要とするようになり、ついに世界列強は、植民地争奪戦を続けながら、急速度に強化されていったのである。このように、カイン、アベル二つの型の人生観の流れと、科学の発展に従って、経済発展は政治的にこの世界を、民主と共産の二つの世界に分立させたのである。

(五)文芸復興に伴う宗教、政治および産業革命
カイン型であるヘレニズムの反中世的復古運動は、人本主義(Humanism)を生み、文芸復興(Renaissance)を引き起こした。これが、更にサタンの側に発展して、第二の文芸復興思潮といえる啓蒙思想を起こすようになった。この啓蒙思想が一層サタンの側に成熟して、第三の文芸復興思潮といえる唯物史観を生み、共産主義思想を成熟させたのである。
このように、サタンの側で天の摂理を先に成し遂げていくに従って、宗教、政治、産業各方面においても三次の革命が引き続き生ずるようになった。すなわち、第一次文芸復興に続いて、ルターを中心とする第一次宗教改革があった。第二次文芸復興に続いて、宗教界では、ウェスレイ、フォックス、スウェーデンボルグなどを中心とした新しい霊的運動が、激しい迫害の中で起こったが、これが第二次宗教改革運動であった。ゆえに、第三次文芸復興に続いて、第三次宗教改革運動が起こるということは、歴史発展過程から見て、必至の事実であるといえる。事実、今日のキリスト教の現実は、その改革を切実に要求しているのである。
また、政治的な面においても三段階の変革過程があったことを看破することができる。すなわち、第一次文芸復興と第一次宗教改革の影響により、中世封建社会は崩壊に導かれた。第二次文芸復興と第二次宗教改革の影響により、続いて専制君主社会が崩壊に導かれたのである。そして第三次文芸復興による政治革命によって、共産主義社会が成立するに至った。今後は、将来、第三次宗教改革により、天の側の民主世界が理念的にサタンの側の共産世界を屈伏させて、この二つの世界が、必然的に神を中心とする一つの地上天国に統一されなければならないのである。
一方我々は、宗教と政治の変革に従うところの経済改革も、三段階の過程を経て発展してきたという事実を知ることができる。すなわち、蒸気による工業発達によって第一次産業革命がイギリスにおいて起こり、つづいて、電気とガソリンによる第二次産業革命が先進諸国で起こった。今後は、原子力による第三次産業革命が起こり、これによって理想世界の幸福な社会環境が世界的に建設されるであろう。このメシヤ再降臨準備時代における三次の文芸復興に伴う宗教、政治および産業など三分野にわたる三次の革命は、三段階の発展法則による理想社会実現への必然的過程なのである。

第四節 世 界 大 戦
(一)蕩減復帰摂理から見た世界大戦の原因
(二)第一次世界大戦
(三)第二次世界大戦
(四)第三次世界大戦


(一)蕩減復帰摂理から見た世界大戦の原因
戦争は、いつでも政治、経済、思想などが原因となって起こるようになる。しかし、このようなことはあくまでも外的な原因にすぎないのであって、そこには必ず内的な原因があるということを知らなければならない。これはあたかも人間の行動に内外両面の原因があるのと同様である。すなわち、人間の行動は、当面の現実に対応しようとする外的な自由意志によって決定されるのはもちろんであるが、復帰摂理の目的を指向し、神のみ旨に順応しようとする内的な自由意志によって決定されるものもあるのである。ゆえに、人間の自由意志によって起こる、行動と行動との世界的な衝突が、すなわち世界大戦であるので、ここにも内外両面の原因があるということを知らなければならない。したがって、世界大戦を、政治、経済、思想などその外的な原因を中心として見ただけでは、これに対する摂理的な意義を把握することができないのである。
それでは、蕩減復帰摂理から見た世界大戦の内的な原因は何なのだろうか。第一に、主権を奪われまいとするサタンの最後の発悪によって、世界大戦が起こるようになるのである。既に上述したように、人間始祖が堕落することによって、元来神が成し遂げようとしてきた原理世界を、サタンが先立って原理型の非原理世界を成し遂げてきたのであり、神はそのあとをついていかれながら、サタン主管下のこの非原理世界を奪い、善の版図を広めることによって、次第に原理世界を復帰する摂理をしてこられたのである。したがって、復帰摂理の路程においては、常に、真なるものが来る前に、偽ものが先に現れるようになる。キリストが来られる前に偽キリストが来るであろうと言われたのは、その代表的な例であるといえる。
ところで、サタンを中心とする悪主権の歴史は、再臨主が現れることによってその終末を告げ、神を中心とする善主権の歴史に変わるのであるから、そのときにサタンは最後の発悪をするようになる。モーセを中心とする民族的カナン復帰路程において、エジプトを出発しようとするイスラエル選民に対し、サタンはパロに最後の発悪をさせたので、天の側では三大奇跡により彼を打って出発したのである。このように、歴史の終末期においても世界的カナン復帰路程を出発しようとする天の側に対して、サタンが最後の発悪をするので、これを三次にわたって打つのが三次の世界大戦として現れるのである。
第二に、神の三大祝福を成就した型の世界を、サタンが先に非原理的につくってきたので、これを復帰する世界的な蕩減条件を立てるために世界大戦が起こるのである。神は人間を創造されて、個性を完成すること、子女を繁殖すること、そして、被造世界を主管することなどの三大祝福を人間に与えた(創一・28)。したがって、人間はこの祝福を成就して地上天国を実現しなければならなかったのである。神は人間を創造なさり、このような祝福をされたので、その人間が堕落したからといって、この祝福を破棄することはできない。それゆえに、堕落した人間がサタンを中心として、その祝福された型の非原理世界を先につくっていくのを神は許さないわけにはいかないのである。したがって、人類歴史の終末には、サタンを中心とする個性の完成、サタンを中心とする子女の繁殖、サタンを中心とする被造世界の主管など、三大祝福完成型の非原理世界をつくるようになる。ゆえに神の三大祝福を復帰する世界的な蕩減条件を立てるためには、サタンを中心とするこのような三大祝福完成型の非原理世界を、蘇生、長成、完成の三段階にわたって打つ三次の世界大戦が起こらざるを得ないのである。
第三に、イエスの三大試練を世界的に越えるために世界大戦が起こるようになる。イエスの路程は、すなわち信徒たちが歩まなければならない路程であるので、信徒たちはイエスが荒野で受けた三大試練を、個人的に、家庭的に、国家的に、世界的に乗り越えなければならない。このようにして、全人類がイエスのこの三大試練を三次にわたって世界的に越えていくのが、すなわちこの三次にわたる世界大戦なのである。
第四に、主権復帰のための世界的な蕩減条件を立てるために、世界大戦が起こるようになる。人間が堕落しないで、成長期間の三段階を経て完成されたならば、神の主権の世界が成就されたはずである。ゆえに、この堕落世界をカイン、アベルの二つの型の世界に分立したのち、アベル型の天の世界がカイン型のサタンの世界を打って、カインがアベルを殺した条件を世界的に蕩減復帰し、神の主権を立てる最後の戦争を遂行しなければならないが、これも三段階を経過しなければならないので、三次の世界大戦が起こるようになるのである。ゆえに、世界大戦は縦的な摂理路程において、主権復帰のためにあったすべての戦いの目的を、横的に蕩減復帰すべき最終的な戦争なのである。

(二)第一次世界大戦
(1) 第一次世界大戦に対する摂理的概要
カイン、アベル二つの型の人生観によって起こったカイン、アベル二つの型の民主主義革命によって、専制君主政体は崩壊した。これに続いて起こった産業革命は、封建主義社会を資本主義社会へと導き、ついには帝国主義社会を迎えるようになったのであった。ゆえに、第一次世界大戦は、政治的な面から見れば、アベル型の民主主義により復帰摂理の目的を指向する民主主義政体と、カイン型の民主主義により復帰摂理の目的に反する全体主義政体との戦争であった。また、経済的な面から見れば、これは、天の側の帝国主義とサタン側の帝国主義との戦争であった。したがって、この大戦は一面、欧米諸国中の先進資本主義国家と後進資本主義国家とが、植民地争奪のために展開した戦争でもあったのである。また、第一次世界大戦を思想的な面から見れば、当時のキリスト教を迫害した回教国家であるトルコ、および、これを支持したドイツやオーストリアなどカイン型の国家群と、主にキリスト教を信奉した米、英、仏などアベル型の国家群との間に展開された戦争であったのである。結論的にいうと、第一次大戦は、アベル型の人生観の目的を実現すべき民主主義が、蘇生的な勝利の基盤を造成する戦争であったのである。

(2) 天の側とサタンの側との区別は何によって決定されるか
天(神)の側とサタンの側との区別は神の復帰摂理の方向を基準として決定される。神の復帰摂理の方向と同じ方向を取るか、あるいは間接的でもこの方向に同調する立場をとるときこれを天の側といい、これと反対になる立場をサタンの側という。ゆえに、天の側であるとかサタンの側であるというのは、我々の常識や良心による判断と必ずしも一致するものとはいえないのである。モーセがエジプト人を殺したという事実は、神の摂理を知らない人はだれでも悪だと言うであろう。しかし、復帰摂理の立場で見ればそれは善であった。そればかりでなく、イスラエル民族が何の理由もなくカナンの地へ侵入して数多くの異邦人を全滅させたという事実も、神の摂理を知らない立場から見れば悪であるといわざるを得ない。しかし、これもやはり、復帰摂理の立場から見れば善であったのである。カナン民族の中に、イスラエル民族よりもっと良心的な人がいたとしても、当時の彼らはみな一律にサタンの側であり、イスラエルは一律に天の側であったからである。
なお一歩進んで、この例を宗教面において挙げてみよう。すべての宗教はその目的が等しく善にあるので、それはみな天の側である。しかし、ある宗教が、使命的に見て一層天の側に近い宗教の行く道を妨害するときには、その宗教はサタンの側に属するようになる。また、各宗教は各々時代的な使命をもっているので、ある宗教がその使命期を過ぎたのちまでも、次の時代の新しい使命を担当して現れた宗教の行く道に障害となる立場に立つとき、その宗教はサタン側になるのである。例えばイエスが現れる前には、ユダヤ教やその民族はみな天の側であった。しかし彼らが、ユダヤ教の目的を達成するために新しい使命をもってこられたイエスを迫害するようになったときには、彼らがいくら過去に神をよく信奉してきたとしても、イエスを迫害したその日からサタン側とならざるを得なかったのである。
近世以後においては、アベル型の人生観の系統はみな天の側であり、カイン型の人生観の系統はみなサタンの側である。このような意味において唯物論者はカイン型の人生観の結実であるので、人間的に見るといくら良心的で他人のために献身していても、彼らはサタンの側である。したがって、共産世界はサタン側の世界となるのである。これに反して、信仰の自由が許されている民主世界は、アベル型の人生観として存立する世界であるから天の側である。
前編で既に論じたように、キリスト教はすべての宗教の目的を達成するための最終的な使命をもって、中心宗教に立てられているので、復帰摂理の立場から見れば、この摂理の目的を指向するキリスト教の行く道を妨害するものは、何でもサタン側になるのである。したがって、キリスト教を迫害するとか、または、その発展を直接、あるいは間接的に妨害する国家は、みなサタン側になる。ゆえに、第一次世界大戦において、米、英、仏、露など、連合国側の主動国家はキリスト教国家であるばかりでなく、回教国であるトルコ内で迫害を受けていたキリスト教徒を解放させようとした国家であるので、みな天の側になり、ドイツやオーストリアなど同盟国側の主動国家は、キリスト教を迫害する回教国家であったトルコを支持したので、それらの国家はみなトルコと共にサタン側となったのである。

(3) 復帰摂理から見た第一次世界大戦の原因
復帰摂理から見て、第一次世界大戦が起こるようになった内的な原因の第一は、神の三大祝福を復帰する蘇生的な蕩減条件を世界的に立てようとするところにあった。既に明らかにしたように、サタンは、神がアダムを中心として成し遂げようとした世界と類似した型の世界を先につくってきたので、歴史の終末に至っては、一時は必ずサタン側のアダム型の人物を中心として、三大祝福の蘇生級完成型の非原理世界が現れるようになる。したがって、天の側ではこの世界を打って、神を中心としてその祝福を完成した原理世界を復帰する蘇生的な蕩減条件を、世界的に探して立てなければならない。このような目的のため、第一次世界大戦が起こるようになったのである。
ゆえに、第一次世界大戦を挑発したドイツのカイゼル(ウイリアム二世)は、サタン側のアダムの蘇生級個性完成型の人物として、汎ゲルマン主義を主唱して子女繁殖の型をつくり、世界制覇の政策を立てて万物主管の型を成し遂げ、サタンを中心とする三大祝福の蘇生級完成型の非原理世界を達成したのである。したがって、天の側がこのようなサタン側を打って勝利して、神を中心とする三大祝福を完成した世界を復帰する蘇生的な蕩減条件を世界的に立てるために、第一次世界大戦は起こらざるを得なかったのである。
第二に、イエスに対するサタンの第一次試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために、第一次世界大戦がなければならない。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第一次大戦に勝利し神の第一祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立てなければならなかった。なぜならば、イエスが荒野で第一次試練に勝利して、石で表示されたイエス自身を取り戻して個性復帰の基台を造成したように、天の側では第一次世界大戦に勝利することによって、サタン側の世界とその中心を滅ぼし、その反面、天の側の世界を立てて、その中心たる再臨主の誕生を迎え、個性復帰のための基台をつくらなければならなかったからである。
第三に、主権復帰の蘇生的な基台を造成するために第一次世界大戦がなければならない。我々は既に後編第四章第七節(二)(6)において、専制主義社会を打破して神の主権を復帰するための最終的な政体として、民主主義政体が出てくるようになったと論じたが、結果として現れた事実が物語っているように、第一次大戦で天の側の国家が勝利し、政治版図を拡大させて、世界をキリスト教化した。また、天の側の、広範囲で確固とした政治および経済の基台を造成して、民主主義の蘇生的な基台を確立すると同時に、天の側の主権復帰の蘇生的な基台をつくらなければならなかったのである。

(4) 復帰摂理から見た第一次大戦の結果
第一次世界大戦で天の側が勝利することにより、神の三大祝福を世界的に復帰するための蘇生的な蕩減条件を立てるようになった。イエスに対するサタンの試練を世界的に越える立場から見れば、神の第一祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立て、ここで民主主義が蘇生的な勝利を得るようになり、天の側の主権復帰の蘇生的な基台を造成したのである。また、サタン側の世界と、その世界の王として君臨したカイゼルが敗北した反面に、天の側の世界の蘇生的な勝利の基台が立てられ、天の側の世界の王として来られる再臨主の誕生される基台が造成されたのである。またこれに続いて、サタン側の再臨主の象徴型であるスターリンを中心とする共産世界がつくられるようになった。なぜならば再臨主は、共生共栄共義主義の地上天国理想をもって降臨される方であるので、サタン側では天の側のこのような摂理をそれに先んじて達成するために、サタン側の再臨主型の人物を中心として地上天国型の世界を成し遂げようとしたからであった。ゆえに、第一次世界大戦においては、天の側の勝利によってメシヤ再降臨の基台が造成され、そのときから再臨摂理の蘇生期が始まったのである。

(三)第二次世界大戦
(1) 第二次世界大戦に対する摂理的概要
既に中世以後の歴史において見てきたように、民主主義の根本精神は、アベル型の人生観の目的を実現しようとするところにある。民主主義は人間本性の内外両面の性向に従い、必然的に創造理想の世界を追求するようになる。ゆえに、第二次世界大戦は、第一次大戦によって得た蘇生的な勝利の基台の上に立つ民主主義が、人間本性の指向する道をふさぐ全体主義と戦って、長成的な勝利の基盤を造成する戦争であったのである。

(2) 全体主義とは何か
一九三〇年代において、経済恐慌が世界的に押し寄せてきたとき、特にこの逆境を克服し難い、孤立した環境に立たせられた独、日、伊などの国家は、その難局を打開する道を全体主義の中に求めようとしたのである。それでは、全体主義とは何であろうか。全体主義とは、近代国家の民主主義政治思想の根本である人間の個性に対する尊重と、言論、出版、集会、結社の自由、そして国家に対する基本的な人権および議会制度などを否定し、民族国家の「全体」だけを究極の実在として見ることにより、個人や団体は民族国家全体の存立と発展のためにのみ存在しなければならないと主張する政治理念である。ゆえに、この制度のもとにおける自由は、個人が主張し享受できる権利ではなく、全体の前にささげなければならない一つの義務であり、また犠牲として定義されるのである。全体主義の指導原理は、すべての権威を多数におくのではなく、ただ一人の支配者におき、そしてその支配者の意志をもって国家民族の理念とするのである。この指導理念による全体主義政治体制の実例を挙げれば、イタリアにおけるムッソリーニ、ドイツにおけるヒットラー、日本における軍閥による独裁政体が各々それに該当するといえる。

(3) 第二次世界大戦における天の側国家とサタン側国家
第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン側国家との対戦であった。それでは、どうして前者は天の側であり後者はサタン側なのであろうか。前者はアベル型の人生観を中心として、復帰摂理の最終段階の政治理念として立てられた民主主義を根本理念とする国家であるから天の側である。後者はその政治理念がカイン型の人生観を中心としており、反民主主義的な全体主義国家であるゆえにサタン側である。また、前者はキリスト教を支持する国であり、後者は反キリスト教的な立場に立った国家であるので、各々天の側とサタン側とに区別されたのである。
その内容をもう少し明らかにしてみよう。当時代において枢軸国の中心であったドイツは、人間の基本的な自由を剥奪し、その思想統制は宗教分野にまで及んだのである。すなわち、ヒットラーはローマ法王とは別途に協約を結び、厳重なゲルマンの原始的宗教思想を導入して民族的宗教を創設したのち、全国の主教のもとにすべての新教を統轄しようとしたので、新教はもちろん、旧教までもこれに強力な反対運動をしたのである。そればかりでなく、ヒットラーは六〇〇万のユダヤ人を虐殺した。また大戦当時の日本の軍閥は、韓国の各教会に神道の神棚を強制的に設置させ、キリスト教信徒たちを強制的に引っ張りだして日本の神社に参拝させ、これに応じない信徒たちを投獄、殺傷した。さらに、イタリアはサタン側に立ったドイツと一つになって枢軸国家となり、ムッソリーニは国民思想を統合するために、故意に旧教を国教とすることによって、神の復帰摂理に逆行する道を歩いた。これらのことを根拠として、当時の独、日、伊は共にサタン側の国家であると規定されるのである。

(4) 天の側とサタン側が各々三大国に対立した理由
詳細は次の項で論述するが、第二次世界大戦は、イエスを中心として成し遂げようとしながらできなかった神の三大祝福を復帰する長成的な蕩減条件を、世界的に探し立てるために起こったのである。ところが、元来神の三大祝福が完成されなかったのは、アダム、エバ、天使長の三存在が堕落してしまったからであった。ゆえに、三大祝福の復帰にも、それらを蕩減復帰するための三存在の関与が必要であったので、後のアダムとして来られたイエスと、エバの神性をもって来られた聖霊(前編第七章第四節(一))と天使の三存在が一つになって初めて霊的救いの摂理を成し遂げ、神の三大祝福を霊的に復帰することができたのである。したがって、イエスを中心とする三大祝福を復帰するための、長成的な蕩減条件を、世界的に立てるべき第二次世界大戦も、アダム、エバ、天使を象徴する天の側の国家が中心となり、同一の型を備えたサタン側の国家と戦って勝利し、それを蕩減復帰する条件を立てなければならない。ゆえに、これを知っているサタンは、この摂理に先立って、サタン側のアダム、エバ、天使型の国家を先に団結させ、天の側のそのような型の国々に向かって攻勢をかけさせたのである。
アメリカは男性国家として天の側のアダムを、イギリスは女性国家として天の側のエバを、フランスは中間的な国家として天の側の天使長を各々象徴し、ドイツは男性国家としてサタン側のアダムを、日本は女性国家としてサタン側のエバを、イタリアは中間的な国家としてサタン側の天使長を各々象徴したのである。第一次世界大戦においての米、英、仏と、ドイツ、オーストリア、トルコも、やはり各々このような類型に編成された、蘇生的な象徴型としての天の側とサタン側の国々であったのである。
それでは、第二次大戦において、サタン側の国家であるソ連はなぜ天の側に加担するようになったのだろうか。法王を中心とする西欧の中世社会が復帰摂理の目的を達成できない立場に立ったとき、神はこれをカインとアベルの二つの型の人生観の世界に分立して、共産と民主の二つの世界を成し遂げていく摂理をなさらなければならなくなっていた。ところが、封建社会や専制君主社会や帝国主義社会は、みなこのような摂理を成し遂げようとする天の側の行く道を妨げると同時に、サタン側が行く究極の道をも遮ることになるので、天の側とサタン側とが手を組んでそれらの社会を打破するようになったのである。復帰摂理は時代の流れに従って発展する。したがって、神の復帰摂理を先に達成していく非原理世界も、時代の流れに従ってサタンの目的を指向し発展せざるを得なくなる。ゆえに、サタン世界においても、古びた社会は進歩的な社会をつくるのに障害となるので、それを清算する戦いをするようになるのである。
このような歴史的な趨勢からして、第二次世界大戦における全体主義は、天の側においてそうであるように、サタン側が行く道においてもまた、やはり障害となったのである。しかるに神は、サタン側が共産主義世界をつくることを、蕩減復帰摂理上、一時的にではあっても許容されなければならなかったので、ソ連が天の側国家と協力して全体主義国家を打倒することにより、共産世界が速やかにそれなりの結実をするようにされたのである。しかし第二次世界大戦が終わるや否や、民主と共産の二つの世界は、水と油のように、はっきり分かれるようになったのであった。

(5) 復帰摂理から見た第二次世界大戦の原因
復帰摂理から見て、第二次世界大戦が起こるようになった内的な原因の第一は、神の三大祝福を復帰する長成的な蕩減条件を世界的に立てようとするところにあった。神はアダムが堕落したことにより、第二次に、後のアダムであるイエスを遣わし、彼を中心として神の三大祝福を完成した世界を復帰なさろうとしたのである。しかしイエスはユダヤ人の不信により十字架で亡くなられたので、これはただ霊的にのみ成就されるにとどまった。またサタンは、イエスが成し遂げようとされた世界と類似した型の世界を先につくっていこうとするので、歴史の終末に至っては、必ずサタン側のイエス型の人物を中心として、三大祝福の長成級完成型の非原理世界がつくられるのである。したがって、この世界を打って、神を中心としてその祝福を完成した原理世界へ復帰する、長成的な蕩減条件を世界的に立てなければならない。このような目的のために第二次世界大戦が起こるようになったのである。
このサタン側のイエス型の人物がすなわちヒットラーであった。ゆえにヒットラーは、その思想とか、独身生活とか、彼の悲惨な死とか、また行方不明になった彼の死体などすべての面において、み旨とは方向が反対であるというだけで、その他の点においては、イエスと類似する面を多くもっていたのである。したがって、第二次世界大戦を挑発したドイツのヒットラーは、サタン側のアダムの長成級個性完成型の人物として、汎ゲルマン主義を強化することによって子女繁殖の型を成し遂げ、世界制覇の政策を樹立して万物主管の型を実現し、サタンを中心とする三大祝福の長成級完成型の非原理世界をつくったのである。ここにおいて天の側は、第二次世界大戦に勝利することによって、三大祝福を完成した世界を復帰する長成的な蕩減条件を世界的に立てなければならなかったのである。
第二に、イエスに対するサタンの第二の試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために第二次世界大戦がくるようになる。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第二次大戦で勝利して、神の第二祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立てなければならなかった。なぜならば、イエスが荒野で第二の試練に勝利して子女復帰の基台を造成されたように、天の側の世界が第二次大戦に勝利することによって、民主主義の長成的な基台を造成し、天の側の人間たちが天の世界的な基盤をつくらなければならなかったからである。
第三に、主権復帰の長成的な基台を造成するために第二次世界大戦が起こるようになったのである。第一次大戦において天の側が勝利することにより、民主主義世界は蘇生的な基盤をもつようになったが、それと呼応してカイン型の世界をつくってきたサタン側でも、第一次大戦が終わるや否や、帝国主義を克服して共産主義世界の蘇生的な基盤を達成した。ゆえに、第二次大戦では、その結果として現れた事実が物語っているように、民主と共産の二つの世界を完全に分離させ、各々その長成的な基盤をつくるようにしなければならなかった。民主主義世界がその長成的な基盤をつくるようになるに従って、天の側の主権復帰はその長成的な基台を造成するようになるのである。

(6) 復帰摂理から見た第二次世界大戦の結果
第二次世界大戦が天の側の勝利に終わったので、神の三大祝福を世界的に復帰するための長成的な蕩減条件を立てることができた。イエスに対するサタンの試練を世界的に越える立場から見れば、神の第二祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立て、また民主主義世界が長成的な基盤をつくって、主権復帰の長成的な基台を造成するようになったのである。
また、蕩減復帰の原理から見て、サタン側のイエス型の人物であるヒットラーとその国が滅び、サタン側の再臨主型の人物であるスターリンを中心とする共産世界が世界的な基盤をもって現れるようになったのは、復活されたイエスを中心として霊的な王国を建設していった時代は過ぎ、再臨されるイエスを中心として、新しい天と新しい地(黙二一・1〜7)を建設するときになったことを見せてくれたのである。
このように、第二次大戦が終わったあとからは再臨摂理の長成期に入るので、多くの信徒たちがイエス再臨に関する啓示を受け、神霊の業(役事)が世界的に起こるようになるのである。これに従って、あらゆる既成宗教は一層混乱し分裂して世俗的に流れ、宗教的生命を失うようになる。これは、最終的な新しい真理により、すべての宗教を一つに統一するための終局的な摂理によって生ずる一つの終末的な現象なのである。

(四)第三次世界大戦
(1) 第三次世界大戦は必然的に起こるのであろうか
神は、元来、人間始祖を創造されて、彼に世界を主管せよと祝福されたので(創一・28)、サタンが堕落した人間を中心として先にこの祝福を完成した型の非原理世界をつくっていくのを許さなければならなかった。その反面、神は復帰摂理によってそのあとについていきながら、それを天の側へ奪ってくる摂理をしてこられたことは、我々がよく知っている事実である。ゆえに、人類歴史の終末には、サタン側も天の側もみな世界を主管するところまで行かなければならないので、民主と共産の二つの世界が両立するようになる。そして、この二つの世界の最終的な分立と統合のために世界大戦が起こるようになるのである。このように、第一次、第二次の大戦は、世界を民主と共産の二つの世界に分立するための戦いであり、このつぎには、この分立された二つの世界を統一するための戦いがなければならないが、これがすなわち第三次世界大戦なのである。第三次世界大戦は必ずなければならないが、その戦いには二つの道がある。
第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには、人間の本性的な欲求を満足させる完全無欠な理念がなくてはならないのである。またこの戦いの第二の道は、武器による外的な戦いをしないで全面的に理念による内的な戦いで、直ちにサタン世界を屈伏させて統一する道である。人間は理性的な存在であるから、結局理性で屈伏し、理性によって一つになるのでなければ、完全な一つの世界となることはできないのである。この二つの戦いの中で、いずれの道によって一つの理想世界が成し遂げられるかは人間の責任分担の遂行いかんによって決定される問題である。それでは、この道に必要な新しい世界の理念はどこから現れるのだろうか。
人類を一つの理想世界へと導くことのできる理念が、カイン型の人生観で立てられた共産主義世界から出てくるはずは絶対にない。なぜなら、カイン型の人生観は人間本性の内的な性向の伸長を遮っているからである。ゆえに、この理念は必ずアベル型の人生観で立てられた民主主義世界から出てこなければならないが、しかし、我々がこれまでに知っている民主主義世界のいかなる既存理念も、共産主義の理念を屈伏させることができないということは、既に歴史的に証明されている事実である。したがって、この理念は必ず民主主義世界から、新しく登場してこなければならないのである。新しい理念が出てくるためには新しい真理が出なければならないが、この新しい真理がすなわちアベル型の人生観の根本であり、したがって、民主主義の根本となることはもちろんである。今まで、時代の流れに従って、より新しい真理を探求してきた歴史発展過程がそうであったように、このような新しい真理が出てくると、多くの人間が、今まで真理であると信じてきた古いものと互いに衝突するようになるので、今日の民主主義世界そのものも、再びカイン、アベルの二つの立場に分立されてお互いに争うようになるであろう。しかし、この新しい真理が民主主義世界で勝利の基盤をもつようになり、更に進んでは共産主義の理念を屈伏させることによって、ついに一つの真理による一つの世界が成し遂げられるのである。
神がこの新しい真理を下さって、全人類を一つの理念に統合させようとなさる摂理をサタンが先に知り、自分を中心として人類を統合させようと、偽りのものを真であるかのように説いたサタン側の真理がすなわち弁証法的唯物論である。弁証法的唯物論は理論的な根拠を立てて霊的な存在を抹殺しようとする。このような唯物論の立場から神は存在しないということを証拠立てようとしたが、結果的にはサタン自身も存在しないという論理を自らも被らざるを得ず、自繩自縛となり自滅の境地に自ら落ちこんでしまったのである。なお、サタンは歴史の終末をよく知っているので自分が滅亡することもよく知っている。したがって、結局はサタン自身も尊ばれないときが必ずくることを想定していながら、自分の犠牲を覚悟して神を否定したのがすなわち弁証法的唯物論なのである。ゆえに、民主主義世界でその理論を屈伏させる真理を出さない限り、天の側はいつまでもサタンの理論的な攻勢を免れる道がないのである。ここに、天の側で新しい完成的な真理を宣布しなければならない復帰摂理史的な根拠があるのである。

(2) 第三次世界大戦に対する摂理的概要
第三次大戦は、復帰摂理が始められてからこのかた最終的に、民主世界によって共産世界を屈伏させ、理想世界を復帰させようとする戦争である。復帰摂理の観点から見れば、第一次大戦までは、天の側の世界では、植民地を世界的に確保して復帰摂理のための政治と経済の版図を拡大することにより、民主主義の蘇生的な基台を立て、第二次大戦では、民主主義の長成的な基台を世界的に樹立して民主主義の版図を強固にした。第三次大戦によっては、新しい真理により完全なアベル型の人生観を立てて民主世界の完成的な基台を造成しなければならず、この基台の上で全人類を一つの世界へと導いていかなければならないのである。ゆえに第三次世界大戦は、復帰摂理の歴史の路程で、三段階まで延長しながら天のみ旨を立てようとしつつも、サタンに奪われてきたすべてのものを、歴史の終末期に至って、天の側で横的に蕩減復帰する最終的な戦争なのである。

(3) 復帰摂理から見た第三次世界大戦の原因
上述のように、第三次大戦が武力によって終結されるべきか、あるいは理念の戦いで終わるべきかということは、ただ、神の摂理に仕える人間自身の責任分担の遂行いかんによって決定される問題であるが、とにかくどのような道であるにもせよ、世界的な戦いが必ずもう一度なければならないということだけは確かである。
それでは、復帰摂理から見て、第三次世界大戦が起こるようになる内的な原因は何だろうか。第一に、神の三大祝福を復帰する完成的な蕩減条件を世界的に立てるためである。ユダヤ人たちの不信仰によって、イエスを中心とする復帰摂理は結局霊的に成し遂げられただけであったので、イエスは再び地上に再臨して神の三大祝福を完成した世界を霊肉共に復帰なさらなければならない。ゆえに、サタンはまた、イエスが再臨されて達成すべき世界と類似した型の非原理世界を先につくっていくようになる。したがって、歴史の終末には、必ずサタン側の再臨主型の人物を中心として三大祝福を復帰した型の非原理世界がつくられるようになるのである。ゆえに、天の側では、サタンを中心とする世界を打って、神を中心として三大祝福を完成した世界を復帰する完成的な蕩減条件を世界的に立てなければならない。このような目的のために、第三次世界大戦が起こらなければならなくなるのである。
そのサタン側の再臨主型の人物が正にスターリンであった。したがって、スターリンはサタン側の個性完成型の人物として民主世界に対抗し、農漁民、労働者の大同団結を主唱して子女繁殖の型を成し遂げ、世界赤化の政策を樹立して万物主管の型を実現し、三大祝福を完成した型の共産世界をつくったのである。ゆえに、共産主義世界は、将来きたるべき神を中心とする共生共栄共義主義世界を、サタンが先に成し遂げた、非原理世界であるということを我々は知らなければならないのである。
第二に、イエスに対するサタンの第三次試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために第三次大戦がくるようになる。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第三次大戦で勝利することによって、神の第三祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立てなければならない。なぜなら、イエスが荒野で第三次試練に勝利して万物に対する主管性復帰の基台を造成したように、天の側が第三次大戦で勝利することによって、被造世界全体に対する人間の主管性を復帰しなければならないからである。
第三に、主権復帰の完成的な基台を造成するために第三次大戦が起こらなければならない。それは、天の側で第三次大戦に勝利して共産主義世界を壊滅させ、すべての主権を神の前に取り戻して天宙主義の理想世界を実現しなければならないからである。

(4) 復帰摂理から見た第三次世界大戦の結果
かつて神は、アダム家庭でカインとアベルを立てて復帰摂理を完成なさろうとした。しかし、カインがアベルを殺すことによって人類罪悪歴史が始まったので、これを蕩減復帰なさるための善悪の分立摂理は、個人的なものから始まり、家庭、氏族、社会、民族、国家的なものを経て、世界的なものへとその範囲を広めてこられたのである。神は、復帰摂理の最終的摂理である三次の大戦に勝利することによって、三段階まで延長を繰り返してきた摂理路程の全体を蕩減復帰なさろうとするのである。最初に人間始祖は、サタンの誘惑の言葉に引きずられていったことにより、神に対する心情を失うようになった。このようにして人間は、内的な霊的堕落と外的な肉的堕落によりサタンの血統を受け継いだのである。ゆえに復帰摂理は、堕落人間が神の命のみ言により、神に対する心情を復帰して霊肉共に救いを受け、神の血統を再び受け継いで完成されるのである(後編第二章第三節(三)(2)参照)。
三次にわたる世界大戦における天の側の勝利は、このような復帰摂理のすべての基台を完全に蕩減復帰して、人間が堕落してからのちの悠久なる歴史の期間を通じて、神が完成させようとされてきた創造本然の理想世界を実現していくようになるのである。

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