2011年02月24日

文鮮明 先生を応援する人々 アウグス・スターリング大司教 

アウグス・スターリング大司教 

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まず、神様に栄光をささげます。今日の夕方に韓国の兄弟姉妹たちに会えたことを感謝いたします。私はキリスト教の指導者として今日米国が聖霊の役事に燃え上がっていることを皆さんたちの前で証ししようとこの場に立ちました。

神様の「油を注ぐ恩恵」が我々に臨んでいます。我々の真の父母であられる文鮮明牧師ご夫妻こそ、我々すべてがイエス・キリストの実体とひとつにならなければならないというメッセージをもってこられた方であり、イエス・キリストから「A」を三つももらった方です。油を注がれた者という意味で「Anointed」、使命を直接伝授されたものという意味で「Appointed」、そして実体の生き方を通じて確証を受けたという意味で「Approved」、この全ての「A」で始まる言葉たちです。

多くの人々に文鮮明牧師が再臨主であるという噂のために論争の対象となっていると聞いています。文鮮明牧師ご夫妻は昨今の米国において神様の福音伝播巡回を50州全域で展開しました。全ての米国の新聞は文牧師こそ全ての教派をひとつにまとめてくれる方であり、「父母と子女がともにある家庭こそ天国のモデルであり、典型」と宣布されたみ言葉をいっせいに報道しました。
私は今日、皆さんに文牧師こそメシア、すなわち救世主であるということを明らかにするためにこの場に立ちました。私はローマのバチカンにおいて5年のあいだ神学の勉強をしましたが、そのときの我々は義務的にヘブライ語を学ばなければなりませんでした。ヘブライで「メシア」という言葉は「油を注がれた者」という意味です。

皆さん!文牧師こそが油を注がれた者です。皆さんも熱心に祈祷して真摯な態度でレバレント・ムーンのみ言葉を傾聴すれば、その方が天から油を注がれた物だという事を感じるようになることでしょう。もう一度言いますが、レバレント・ムーンこそがメシアであります。天の油を注がれた方であるからです。
私は確認しました。我々の真の父母であられる文牧師ご夫妻こそイエス様と聖霊から油を注がれた方として人類に神様の血統を伝授してくださる方であるのです。太初にエデンの園においてまさにこの、すなわち神様の血統を失ってしまいました。不倫なる愛の関係を結ぶことによって人類の始祖であるアダムとエバは神様の子女としての血統を捨てて悪魔の血統を受け、悪魔の子女たちとなってしまいました。彼らは父なる神様を失うと同時に神聖を失ってしまいました。

ファザームーン(Father Moon)は今日ここにおいて人類に神様の血統を伝授する使命を神様から受けました。詩篇82篇6節を見ると、「あなたたちの神である」という言葉があります。ファザームーンは我々が立つべき正しい立場を探してくださっています。我々は神様の聖殿であり、したがってその中に神様の聖霊がともになければならないそのような立場です。我々は小さな神様たちです。聖書の創世記を見ると神様は人間を彼の形に創造し、男と女を作ったとなっています。我々自身が神様の形状に従って小さな神様になろうとすれば我々は神様が下さる聖なる結婚を通じて血統を変えなければならないのです。
私は私の人生が本当に変わったことを告白します。文牧師後夫妻の教えの中で私は私が神様の形状としての姿になるために、まず私の新婦を探さなければならないということを悟りました。私は私が真の父母様ご夫妻に私の妻を捜してくださいとお願いした事実を皆さんの前に誇りを持って告白します。多くの祈祷と神様の加護によって私は妻を迎えました。私の妻の名前は「サヨミ・カミモト」です。私は神様が私のためにその女性を選んでくださったと信じており、我々は今年の5月27日、米国のニューヨークにおいて挙行された国際合同結婚式に参加し、カソリックのイマヌエル・ミリンゴ大司教をはじめとした60双の超宗教指導者たちとともに祝福を受けました。

我々は真の父母であられる文鮮明牧師ご夫妻こそ天から油を注がれた者であり、使命を受けた者であり、認定を受けた方であることを信じます。天はお二人を通じて真の家庭をなし、真の父母を探し立て、この地上の上に天国を建てようとされているのです。神様の祝福が皆さんと皆さんの家庭にともにあることを願いつつ、言葉を締めくくろうと思います。ありがとうございました。
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文鮮明 先生を応援する人々 ブッシュ元大統領

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現在のアメリカはもちろん世界全体が10代の妊娠と堕胎、青少年犯罪、社会の癌のような存在である麻薬などの困難に直面しています。このような現象はすべてが家庭の破壊の結果です。

ですが今やこの問題の解決のための活動が文鮮明総裁と韓鶴子総裁による世界平和統一家庭連合を通じて始まりました。我々すべてはこの家庭問題の解決のために共同の努力を傾けなければなりません。

私は一生に渡って真の家庭運動を展開してこられた文鮮明先生に大きな感謝の意を表します。
我々すべては先生に敬意を表さなければなりません。
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金活蘭学長から文鮮明先生へ (キリスト教学界を代表して)

金活蘭学長から文鮮明 先生へ (キリスト教学界を代表して)


 文鮮明先生! 私が誰か覚えておられますか。罪人の中の罪人、金活蘭総長です。どれほど悔しく恨めしく、どれほど呪いたいお気持ちでしょうか。私はとうていこのようなメッセージを捧げることのできない立場にあるのですが、あの時、あの時代の事件をそのままにしておくことはできそうにありませんので、申し上げようと思います。

 私は梨花女子大を中途退学させられた女史たちの前にも罪人の中の罪人です。またそれ以上に言うに言えない苦衷がありました。「待つべき方がまさにメシアである文鮮明先生」だということが分からなかった罪、そして、お仕えすべき主を待つ私たちの信仰において、聖書の内容についての固陋な解釈が、人生の裏街道において役立つどころか、嘆かわしい教材にしかならなかったということを考えるとき、気が狂うほど悔しく思われます。

 古い因習に囚われた私たちの無知によって摂理歴史が延長され、言いようのない苦痛をもたらした私たちの過ちを思えば、主としての先生は気の狂うほどけしからぬものと思われることでしょう。しかし一人の女としての金活蘭も、はらわたがちぎれるほど悔しいのです。あの当時、なぜその原理を詳しく聞いてみようとしなかったのか。世界人類の前に、韓国に主様が来られたという事実だけでも韓国人としてこの上ない誇りであるのに…、あのときその事実を知ったならば、総長の椅子に座って仕事をしてるような金活蘭ではなかったことでしょう。

 文先生! たった一度だけでも「主」と呼ばせていただけますか。

 実は、李相軒先生が私のところに来て原理教育をする以前から、私は文鮮明先生が主様であられることを知っておりました。ですから私は熱のこもった講義時間に、大衆と共に座っていることができなかったのです。

 文鮮明先生、待つべき主様があなたであられたのなら、どうしてあの程度の立場にとどまっておられたのですか。私たちの脳裏をもっと強く打つこともできたことでしょうに。主様、恥知らずな者ですが、どういたしましょうか。私は「この罪を許してください」とはとても言えません。

 私は摂理歴史を遅延させた犯罪者として、蕩減の道を自ら歩みながら、今後メシア降臨論を喉が張り裂けるほど叫び、原理教育において他の誰よりも率先する女性指導者になります。数多くのキリスト教徒たちがこの事実をはっきりと知ったならば、彼らは皆狂ってしまうことでしょう。彼らは来世における生をはっきりと知らないがゆえに、いまだに準備して主様を待っています。

 万王の王、文鮮明先生、金活蘭はその名の如く患難を起こした罪人です(韓国語で『活蘭』−ファルラン−と『患難』−ファンナン−の発音が類似している)。私はその罪を蕩減していきます。

 数多くのキリスト教徒よ! イエス様の十字架の救いが人間の永遠の救いではないことを悟り、なぜ主は再び来られなければならないのか、なぜ私たちは主を待ってきたのかを考えてみてください。そして皆さんは、来たるべきそのお方がまさに文鮮明先生であられることを深く悟り、もしその事実が信じられないのならば、門を閉めて断食しつつ、神様にすがって祈祷しながら、来たるべきその方は誰なのか、待つべき方は文鮮明先生なのか、その問題が解決されるまで祈祷してみてください。

 摂理的な時が来たがゆえ、神様は教えてくださるはずです。皆さんは、私のようにどうしようもないこんな環境で胸を叩いて痛哭することのないように、「来たるべきメシアがあなたですか」と地上でメシアに侍って生きてからこちらに来てください。それが永生の生に火を灯した者です。早朝祈祷、断食祈祷、徹夜祈祷、十分の一献金などは主が来られるまでの私たちの準備物です。来たるべき方が来られてからは、皆さんはそのお方に直接侍り、そのお方の指示に従って生きてからこちらに来るということが、子女の道理に従うことになります。

 キリスト教徒よ! 聖書の固陋な解釈にばかり執着することなく、長い歴史を通して信じてきた聖書、また今日の神学教育、生き方、思想なども、その視角を変えて考えてみてください。かといって聖書が間違っているということではありません。聖書で解けない問題は、後に必ず解けるようになっています。それが文鮮明先生の原理講論であり、知性人や若者のために体系化された統一思想です。金活蘭が肩を張って短い世の中を生きていたとき、来たるべきお方がそこにいらっしゃったのに、金活蘭はそこで患難だけを起こしてこちらに来ました。

 牧会者よ! キリスト教徒よ! 私のように後で胸を打つことのないように、心を大きく開いてみてください。そして我執と執着と独善を捨てて、文鮮明先生の業績を見てください。それを異端だという視角で見るのではなく、客観的に見てください。客観的な視角で見ても先生は愛国者であられます。そして人類の救いという次元でその業績を見てください。その方が主でなければ短い生涯であれ程の業績をあげることはできないのです。

 キリスト教の牧師よ! 羊の群れを縛り付けておかずに解き放ってください。さもなければ、皆さんがこちらに来たときに、ソドムとゴモラの塩の柱よりもひどい姿となることでしょう。

 こちらの現実は筆舌に尽くせません。李相軒先生は地上で内科医者として文鮮明先生のみ旨を知り、先生に侍り、こちらへ来られました。私はその方のとてつもない原理と思想と生涯を聞いて、金活蘭は気が狂いそうでした。

 私には誰よりも最も近い位置で文先生にお仕えする機会があったのに、そうすることができなかった愚かな総長でした。総長、総長、今は掃除婦にも及びません。知識に対する誇り、大きい教会の担任牧師だという誇りは、こちらでは何の効果もありません。地上で主に仕えてこちらに来てください。

 もしキリスト教徒の誰かがこの文を読んだなら、私の切実な願いをキリスト教徒たちに直接、あるいはマスコミを通じてでも必ず伝えてください。そうしなかったならば、その人が霊界に来たときに、私が必ずその責任を問います。「来たるべき方は既に来られている文鮮明先生である」という事実を新聞・放送・インターネットなど、いかなる方法を通じてでも広く、広く伝えてください。この事実を伝播する事は、地上生活における何よりも意味あることなのです。それに関しては、金活蘭の名により証人となります。

 文鮮明先生は地上へ来て既に八十歳になられました。それにもかかわらず、私たちキリスト教徒はいまだにその方を待っています。人類歴史上これほどアイロニカルな現象が他にあるでしょうか。キリスト教徒は「救世主、メシア、文鮮明先生は天上天下の主である」という事実を誰よりも先に知ってお迎えしなければなりません。

 そして特にキリスト教牧師にお願いします。聖書が私たち人間の永遠なる福音書なのではありません。考えてみてください。旧約、新約がなぜあるのでしょうか。だとすれば成約もあるべきではないでしょうか。

 成約は文鮮明先生が明らかにされた原理の内容です。牧師たちよ! 成約を慎重に研究してみてください。

 主である、文鮮明先生! 私は悔しさのあまりこのようなメッセージをお捧げいたします。これは私の胸の痛む告白書です。キリスト教徒を救ってください。

 主の十字架の痛みはイエス様の恨であり、神様の恨であり、人類の恨であることをキリスト教はいまだ知らずにいるのです。

 主よ、主よ、人類の王よ! これから金活蘭はこちら霊界で天城活蘭のビッグバン(big bang)を起こして仕事をします。摂理の前に犯した罪には贖罪の道が無いということを知っておりますが、私はそうすることを決心しました。

 千千歳、万万歳、人類の王である主よ、玉体無彊であられますように。

                                金活蘭 拝(2000年1月        出典:「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ(4) 
        天上天下の救世主 真の父母」(成和出版社)より
タグ:文鮮明先生
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文鮮明 先生や統一運動を応援する人々

文鮮明 先生や統一運動を応援する人々

岸信介(元首相、大勲位菊花大綬章)
福田赳夫(元首相、大勲位菊花大綬章)
中曽根康弘(元首相、財団法人世界平和研究所会長、大勲位菊花大綬章)
三塚博(元大蔵大臣、元外務大臣、元運輸大臣、元通産大臣、勲一等旭日大綬章)
松下正寿(元立教大総長、Ph.D、弁護士、元参議院議員、「文鮮明・人と思想」著者
福田信之(元筑波大学長、理学博士、「文鮮明師と金日成主席」著者) 対談
助野健太郎(聖心女子大名誉教授、元キリスト教史学会常任理事、皇后陛下の恩師)
金山政英(元駐韓国大使、元バチカン代理公使、元日韓文化交流協会会長)
鈴木一(元鈴木貫太郎総理秘書官、元出入国管理庁長官、元宮内庁侍従次長)
三原朝雄(元防衛庁長官、元文部大臣、元総理府総務長官、勲一等旭日大綬章)
加藤武徳(元自治大臣、弁護士、剣道範士・全剣連顧問、勲一等旭日大綬章)
相沢英之(元経済企画庁長官、元自民党税制調査会長、弁護士、勲一等旭日大綬章)
江藤隆美(元総務庁長官、元建設大臣、元運輸大臣、勲一等旭日大綬章)
弘津恭輔(元公安調査庁第一部長、元総理府総務副長官、元警察大学校長)
岡嵜格(元東京地検特捜部長、元法務大臣秘書課長、元大阪高検検事長、弁護士)
景山哲夫(元近畿大学長、経済学博士)
郷司浩平(日本生産性本部名誉会長、元経済同友会代表幹事、勲一等瑞宝章)
西堀栄三郎(元日本山岳会会長、第一次南極越冬隊隊長、理学博士)
小牧久時(フランス国際大名誉教授、農学博士、平和運動家)
清水馨八郎(千葉大名誉教授、理学博士、「世紀のプロジェクト」著者)
安藤豊禄(元小野田セメント社長、勲一等瑞宝章、韓国修交勲章興仁賞受賞)
飯島登(聖マリアンナ医科大名誉教授、医学博士)
飯田正一(北大名誉教授、医学博士、薬理学専攻)
池田和義(大阪大名誉教授、理学博士、「神と万有と詩の世界」著者)
石橋一弥(元文部大臣・元自民党憲法調査会長)
伊藤行(鹿児島大名誉教授)
井上茂信(外交評論家・元産経新聞ワシントン支局長、「ゴルバチョフと文鮮明師」著者)
井上順理(鳥取大名誉教授、兵庫教育大名誉教授、文学博士、倫理学専攻)
今井勇之進(東北大名誉教授、元金属博物館長、工学博士、日本学士院賞受賞)
入江通雅(青山学院大名誉教授、国際政治学専攻、元NHKニュース解説担当)
上前行孝(元宮地鐵工所社長、工学博士
内田一臣(元海上自衛隊幕僚長、元海将、自衛隊援護協会理事長)
植田利喜造(元筑波大教授、理学博士、生物学専攻)
宇野精一(東大名誉教授、文学博士、スパイ防止法制定促進国民会議議長)
榎一雄(東大名誉教授、文学博士、東洋史専攻、元東洋文庫理事長)
扇谷正造(評論家、元「週刊朝日」編集長、菊池寛賞受賞)
大鹿譲(大阪工大教授、量子力学専攻)
岡田克己(宮城誠真短大名誉教授)
岡田實(元大阪大学長、工学博士、金属工学専攻、勲一等瑞宝章)
小方二十世(元日本基督教団・鎌倉教会長老)
加藤栄一(筑波大名誉教授、元自治省参事官)
加藤弘(東大名誉教授、工学博士、船舶工学専攻)
亀岡高夫(元農林水産大臣、元建設大臣)
亀川正東(琉球大名誉教授、文学博士、日本ペンクラブ名誉会員)
河部利夫(東京外大名誉教授、東京国際大名誉教授、文学博士)
気賀健三(慶大名誉教授、経済学博士)
北川石松(元環境庁長官、元衆議院外務委員長)
木屋隆安(元時事通信社・社会部長、中外ニュース主筆)
九嶋勝司(元秋田大学長・名誉教授、東北大名誉教授、医学博士)
工藤重忠(元桐蔭女子短大学長、憲法学会常任理事、法学博士)
黒坂富治(富山大名誉教授、音楽家・作曲家)
伍堂輝雄(JAL=日本航空元会長)
小森義峯(元憲法学会理事長、元国士舘大教授、法学博士、伊勢神宮評議員)
小山福松(元中京大学長、商学専攻)
近藤正栄(神奈川大教授、神学・英文学専攻、「神主義への道」著者)
桜井一(上武大元教授、単立シャローム第一公会牧師)
桜田淳子(女優、日本レコード大賞、日本アカデミー賞助演女優賞受賞)
佐々保雄(北大名誉教授、理学博士、地質学専攻、「日韓トンネルプロジェクト」監修)
佐藤正二郎(元広島大教授、音楽家・作曲家、元広島交響楽団常任指揮者)
慈雲(宗教法人妙法山貫首、霊能者、画家、スリランカ国立コロンボ大名誉教授)
東海林孝正(九州共立大教授、経営学専攻)
白井浩司(慶大名誉教授、フランス文学専攻)
菅原喜重郎(元衆議院議員、世界平和超宗教超国家連合共同議長)
杉田一次(元陸上自衛隊幕僚長、日本郷友連盟名誉会長、元東久邇宮内閣秘書官)
杉本儀一(元杉本興業会長)
鈴木瞭五郎(元航空総隊司令官、元空将、元川崎重工顧問
副島宏(元九州学院大教授、航空工学専攻、F1開発者)
田井友季子(作家・日本ペンクラブ会員、「神の代辯者」著者)
高田源清(九大名誉教授、元西日本短大学長、法学博士、法律学専攻)
高田秀二(元高橋賞(関東学院大名誉教授・元学長、工学博士、機械工学専攻)共同通信編集主幹、元日本記者クラブ理事長・名誉会員)
高橋正和(国士館大教授、哲学専攻)
竹田五郎(元統合幕僚会議議長、元川崎重工顧問、軍事評論家)
谷藤正三(元北海道開発庁事務次官、元建設省都市局長、日大教授、工学博士)
田丸徳善(東大名誉教授、元日本宗教学会会長)
近松良之(元筑波大教授、養護施設ひかりの子学園園長)
築山治三郎(京都府立大名誉教授)
徳田敦子(バドミントン元世界チャンピョン、「やっぱりこの人が一番」著者)
中島衛(元科学技術庁長官、旭日大綬章)
中西武雄(東北大名誉教授、農学博士、農芸化学専攻)
中村信一(日本基督和協教会牧師、画家、ロシア大主教宗教最高勲章受賞)
那須聖(外交評論家、元毎日新聞ニューヨーク支局長、「牢獄の救世主」著者)
生田目修(元航空自衛隊幕僚長、元伊藤忠エレクトロニクス顧問、ISC顧問)
西俣昭雄(亜細亜大教授)
西山廣宣(曹洞宗大満寺住職)
宮信親(元月曜評論社社長、元読売新聞社出版局長、元ラジオ日本・常務取締役)
野間繁(明治大名誉教授)
長谷川太郎(福岡工大元学長、山形大名誉教授、工学博士、電波工学専攻)
服部比佐治(元駐ヴァチカン大使、元駐イスラエル大使、元防衛庁参事官)
濱田敏郎(慶大名誉教授、元日本図書館協会理事長)
林健太郎(元東大学長、元参議院議員、元国際留学生協会会長、勲一等瑞宝章)
林田隆(元昭和炭酸会長
一松信(京大名誉教授、理学博士、数学専攻)
福尾券一(名古屋工大名誉教授、理学博士、鉱物学専攻)
福見正子(伏見稲荷大社・因島土生教会長)
法眼晋作(元外務省顧問、元国際協力事業団総裁、元国策研究会長、勲一等瑞宝章)
細川隆一郎(政治評論家、元毎日新聞編集局長)
堀江正夫(元参議院議員、日本郷友連盟会長、英霊にこたえる会会長)
松井七郎(同志社大名誉教授、元ロックフェラー財団特別研究員、労働法専攻)
松金久知(元陸上自衛隊東北方面総監、元日本製鋼所特別顧問)
峯 弘(メノナイト教会牧師、元釧路短大講師、新自然塾塾長)
箕輪登(元郵政大臣、元衆議院安全保障特別委員会委員長、医学博士)
三村勉(日本ハープ音楽振興会理事長)
三村寛子(スーパー・メディテーション指導家、こども環境教育研究所長)
宮内俊之(元伊藤忠商事理事、元アラビア石油副社長)
武藤宗英(身延山久遠寺・報恩閣住職)
武藤正行(国士舘大客員教授、元海軍兵学校教授、元東和大教授、日本思想史専攻)
両角宗晴(信州大名誉教授、工学博士、機械工学専攻)
山口彦之(東大名誉教授、農学博士、世界平和教授アカデミー代表理事)
山崎仁(横浜商科大教授、関東学院大元副学長、元大蔵事務官、流通経済学専攻)
吉江誠一(元陸上自衛隊幕僚長、元国家国務員共済組合連合会・常任理事)
吉田康彦(元国連本部主任広報官、元NHKジュネーヴ支局長、大阪経済法科大教授)
嘉村祐一(元青山学院大教授)
吉本千禎(北大名誉教授、医学博士、医学工学専攻)
リーガル天才(漫才師、漫才協会・第4代会長)
渡辺久義(京大名誉教授、創造デザイン学会代表、英文学・哲学専攻)

いろいろブログからの引用
posted by キンシロウ at 13:38| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文鮮明  先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第4回壮年部講演会

壮年部で講演会か開かれました。

第4回壮年部講演会i.jpg
posted by キンシロウ at 13:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷教会壮年部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文鮮明 先生の真実

文鮮明 先生の統一運動の真実(祝福の世界化)


1992年8月25日の3万組国際合同結婚式(祝福)を契機として国際合同結婚式は、一宗教団体の異様な式典から世界的な行事へと趣を変えて行きます。1995年8月25日には世界36万組の国際合同結婚式、1997年には4000万組にも及ぶ国際合同結婚式が行われるようになります。(祝福の歴史参照)

これらの国際合同結婚式には、統一教会員だけが参加したのではなく、国際合同結婚式の趣旨と目的、内容に共感したあらゆる立場の人たちが参加しました。人々が異様な目で見る国際合同結婚式も常識的な目線で、既成概念を取り除いて説明を受けてみれば、イスラム教徒でも、ヒンズー教徒でも、仏教徒でも、勿論クリスチャンでも、無宗教の人々でさえも共感できるものなのです。2001年1月には国連第2会議場を使い世界各国の若者たちが国際合同結婚式を行う式典が催されました。
 
 日本では1992年の3万組国際合同結婚式での偏向報道により、以来多くの人々が誤解と偏見の目で統一教会と国際合同結婚式を見るようになりましたが、民族主義を越え、人種の壁を越え、言語の壁を越え、宗教の壁を越え、あらゆる壁を越えての国際結婚こそが真の世界平和と未来の幸福に繋がるという人類一家族の理想を真剣に実現しようと取り組んできたのが統一教会の文鮮明総裁なのであります。

家族という最も大切な愛の関係を重要視し、「一家庭、一家庭の幸福こそが世界平和」という互いの家庭を尊重しあう兄弟姉妹の関係。国際合同結婚式の根本思想は、“神を人類の親として我々は兄弟姉妹、一つの家族である”という「One Family under God」(神の下の一つの家族)思想なのであります。

既に結婚されて10年、20年、50年と過ぎた御夫婦でさえも永遠の夫婦の愛を誓い、今一度、神様の前で人類の未来を考え、この式典に参加されるご夫婦も少なくありません。異様さばかりを報道し、何故そのような式典を行うのか…、決して取り扱うことをしない日本のマスコミ。しかし、何が真実であるかは時間が解決してくれるでしょう。統一教会の真実性は、実は国際合同結婚式の意義と価値を知ることで理解できるでしょう。

柏教会ホームページより引用
posted by キンシロウ at 13:03| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文鮮明  先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月19日

真の神様 第一章 神様の本体

第一章 神様の本体

一 神様は無形の主体であられる

 1.無形でおられる神様

神様はどんな形態ももっていらっしゃいません。大きいと言えば無限大です。小さいと言えば無限に小さい方です。
            
神様は果たしていらっしゃるのでしょうか。誰かがつねって「あっ」と叫ぶことよりも、おなかがすいて御飯を食べるよりも、もっと事実的に感じることができる神様がいるのでしょうか。問題はそこにあります。本当に神様がいらっしゃるとするならば、問題はすべて解決されます。
            
人間には心があります。心は見えないので、ないようですが、あります。心はどこにあるのでしょうか。頭にあるのでしょうか、心臓の中にあるのでしょうか。心は、私の体の中のどこにでもあります。私の体の中にないところはありません。同じように神様がいらっしゃるならば、神様もこの世界が神様の体のようなものなので、この世界のどこにでもいらっしゃいます。
            
神様を見ることはできません。皆さん、力が見えますか。神様はエネルギーの本体であるので、霊界に行っても見ることができません。
            
知恵の神様、全知全能なる神様は、中央で思いどおりに振る舞うことができる無形な存在としていらっしゃいながら主管することが一番便利だと考えられたのです。神様は無形であるだけに、存在世界を思いどおりに突き抜けてきたとしても少しも支障を感じません。皆さんは体がありますが、神様が来て思いどおりに過ぎたとしても皆さんには分からないのです。神様がこくりこくりと居眠りしている皆さんの体を思いのままに踏んでいったとしても分からないのです。それでどんなに便利でしょう。ですから神様は考えた末に見えない神様としているのが一番便利だろうと思い、見えない神様になったという論理は妥当な論理です。
            
私たちは空気が通っていることが分かりません。空気が通っているのにそれを感じられません。空気が通っているのを感じられないのに、神様が通っているのが分かるのかというのです。神様は無形の神としていらっしゃるのが最高の便利な方法です。そうしながら、この大きな宇宙をふろしきで包んでも余りある、そのような神様でなければならないのです。無形の神様ですが、神様の心はこの宇宙よりも大きいものを要求しているのです。
            
皆さん! 愛をもっていますか。生命をもっていますか。皆さんの血統を継ぐことができる精子と卵子をみなもっているでしょう。良心ももっていますか。それでは愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見ましたか。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないことを知らなければなりません。ただ心で感じてこそ知ることができるのです。同じ論理で神様がいるのかいないのかと言う時、または神様を見たのか見なかったのかと尋ねる時、見なかったと言うことができないのです。
            *
心の中に神様が入ってきて、いらっしゃれば心が分かります。神様が心の中に入ってくれば壁も突き通して見ることができ、じっと座って何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。永遠なる神様が心の中に入ってくればそのようにすることができます。永遠を時間ではとらえることはできませんが、永遠の中に時間があります。ですから神様は見えなくても心は分かるのです。
            *
神様はどのように愛するのかと言う時に、答えるのが大変でしょう。神様は無形の神なのでどこでも通ることができることを知らなければなりません。若奥様の目の中に入って心臓の中にも入って……。どこにでも行かないところがないのです。すべてに通じるのです。それでは、神様はどこに住んでいるのでしょうか。神様の住んでいる家は私たちの心の真ん中です。男性の心には神様の男性的心情がとどまり、女性の心には女性的心情が入って生きるというのです。
            *
全知全能なる神様、すべての天下を料理される神様がここにいるとしましょう。力で言えば太白山も吹き飛ばし、地球にも穴を開けることができる能力の神様なのですが、そのような神様を皆さんの目で見ながら生きるとしたら生活することができると思いますか。神様が見えなくて良かったというのです。見えれば皆さんは神経が衰弱して一時間も我慢できないのです。ですから神様が見えないことを有り難く思わなければなりません。これは笑い話ではありません。今までの話は私がそのような問題を中心として深刻に通過してきた経験談です。他人のことを言ったのではなく、私が今までたどってきた経歴報告のような話です。
            *
もしこの世界に空気が一升しか残っていないとすればどうなるでしょうか。神様が意地悪い方ならば、世界統一は問題ありません。多分五分以内に統一されるでしょう。神様が空気をすべてもっていって「お前たち統一するのか、しないのか」と言えば、世界人類が合唱して「統一します」と言うのです。そのようにすれば一遍に統一することができますが、神様が空気をもってそのようにされないことは有り難いことです。空気がなければ私たちは生きることができません。このように空気は生命に絶対に必要な要素です。ところが空気に対して有り難く思いもせずにどろぼうみたいに使っています。
            *
天宙の大主宰なる神様が人間の目に見えるようになれば、神様をお互いが奪い合おうとしてけんかをするでしょうか、しないでしょうか。このけんかを防ぐ道がないのです。神様が見えなくて良かったのです。もし神様が見えたとしたらアメリカとソ連がお互いに自分の神様だと争うでしょうか、争わないでしょうか。争うのです。その争いを誰が止めることができますか。神様は全知であられ、こんな争いが起こるかもしれないので無形でいらっしゃるのです。神様が見えることを願うのはばかげた行為なのです。見えなくて良かったのです。
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この宇宙は神秘に包まれています。その大きさが二百十億光年にもなる大宇宙です。一光年とは光が一年間かかって行く距離を言います。一秒間に地球を七周半も回ることができる光ですが、この光が一年間かかって行くのが一光年です。それではこのように大きい宇宙を支配することができる主人はどれほど大きいでしょうか。背が高いとすればどれほど大きいでしょうか。神様がそれほど大きければ神様自身が足手まといな体を引きずって歩き回ることができるでしょうか。ずるずると歩き回るとすればどれほど大変でしょうか。一度動けば、宇宙が全部驚き倒れるのです。神様は知恵深い方です。それで「見えない主人になろう」と考えたのです。
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それでは神様がどれほど重いですか。それを考えたことがありますか。神様がどれほど重いですか。斤数で量れば何斤になるでしょうか。何億万トンになるでしょうか。重ければその体で歩き回るのは大変ですが、神様は無形でいらっしゃるので理想的です。財布に入れて歩いても重くありません。また、無形なのでどんなに狭い針の穴も通り抜けることができます。思いどおりに運行できるのです。大きいと言えば大きいのに、小さいと言えば無限に小さく、この宇宙どこにでも思いどおりに運行することができるのです。
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一番貴重な物があったとしたら、いつも持ち歩きながら、一時もその物と離れたくないのです。それでは最高の宝物といえる神様を持っているとすれば、その方をどこにしまっておきたいでしょうか。安全にしまっておくことができる倉庫があるとしたらどこでしょうか。その倉庫が私たちの心です。人間の心が神様を安全にしまっておくことができる倉庫です。
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神様は無形なので、有形の存在を自分より重要視しなければならないという結論が出るのです。そうでなければ回らないのです。また、人は自分の体より見えない心と神様をもっと重要視しなければならないのです。


 2.本来は自然に分かるようになっていた

人類が堕落しないで本性の善なる父母を通じて生まれていたならば、神様がいるのかいないのかという弁論は必要ではなかったはずです。生まれながらにして自然に分かるというのです。赤ちゃんがおなかの中でお乳を飲む方法を習ってから生まれますか。生まれてすぐに目の前にお乳があれば吸うようになっているのです。自動的に分かるようになっているのです。人類が堕落しなかったならば、神様との関係を自動的に知り、自動的に解決し、自動的に行かなければならない立場であることを知るようになっていたはずです。ところが堕落することにより全部忘れ去ってしまったのです。それで神様がいるのかいないのかを疑う、結果の世界になったのです。これは悲惨な事実です。
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人はこの宇宙の被造万物の中の傑作品です。どのくらい傑作品かというと、皆さんが察することのできないくらい大きく素晴らしい傑作品です。それでは絶対的な神様がいらっしゃって、人を造られたとしたら神様自身が言うこと、見ること、感じることを人間には分からないように造られるでしょうか。
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神様に似たアダムとエバが人類の父と母になったならば、その姿を通じていつも神様がいらっしゃることを歴史を通じて認知できるはずでした。もしそのようになったとすれば神様に対して疑うようなことはできなくなるのです。堕落しなかったならば、いつでも見ることができ、呼べばすぐ現れるようになっていたのです。そのような基準になったならば、誰が神様は存在しないと否認するでしょうか。否認することができないのです。
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「神様がいる、神様がいる」というのは言葉だけではないのです。原理を通じて主体と対象の関係を中心として見る時に、神様は不可避的にいなければならないという立場ではなく、神様は私が考える前にいたのです。私のすべての感覚、私の一切を主管する天ではないかという立場なのです。それを認識することが何よりも重要な問題です。知って認識するのが原則ではなく、認識して知るようになっているのです。
私たちは寒ければ寒いというのを知って感じるのではなく、寒いことを感じて知るのではないですか。これと同じように神がいらっしゃるなら神がいらっしゃることを皆さんが感じなければなりません。細胞で感じなければなりません。その境地が問題なのです。言い換えれば体恤的立場をどのように私たちが確定するのかという問題、これが問題なのです。
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皆さんが寝ていても「お父様」と言うことができ、独り言でも「お父様」と言えなければなりません。御飯を食べるのも忘れ、寝るのも忘れながらその生活の裏面で父に対する懐かしさをもって「お父様」と言えば、父の手に捕まるようになるのです。夢のような事実が起こるのです。「お父様」と言えば父の懐に抱かれるのです。このような表現的圏において体恤的感情をどのように体得するのかということは信仰生活で何よりも貴いということを知らなければなりません。そのような体恤の感度、感じる度数、その量いかんがその人の信仰基準になり得るのです。そのような愛の心情をもったならばどこかに行って「私がこれをしなければならない」という時は、「天よ、共にいてくださるように」と言う前に既に神様は共にいるのです。このようなことを皆さんが感じれば、「有り難い神様」と言うようになるのです。
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統一教会の原理は、神様は無形の絶対的主体として、二性性相の中和的主体としていらっしゃる方だと言います。二性性相であられる神様自身の分性的実体としてアダムとエバを造り、彼らが成長して愛を中心として横的に連結されるとき、縦的な立場で中心になろうとされたのです。それは何のことかと言えば、アダムとエバが成熟すれば神様の男性性相はアダムの心の中に、神様の女性性相はエバの心の中に入っていくということです。だからといって神様が分かれるのではありません。そのような二性性相の主体としていらっしゃる神様なので、アダムとエバの心の中に臨在することができるというのです。
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神様は二性性相の中和的存在だというでしょう。中和的立場で愛を中心とした統一的存在ということは今まで話さなかったのです。そこに愛を中心とした統一的存在だということをつけ加えなければならないのです。


二 無形の神様は体が必要

 1.体をもつためにアダムとエバを創造

神様はどうしてアダムとエバのような形を必要とするのでしょうか。万物は形状的な形をもっていますが、神様は無形の存在です。神様はどのような形ももっていません。大きいと言えば無限大です。小さいと言えば無限に小さい方です。そのような方がどんな標準的な形を形成し、形体を現したとしても実体をもった万物はその神様に直接主管されません。ですから実体をもった被造世界においては、実体をもった主人的人格と形を備えた存在がなければならないのです。神様は地上万物の主管だけではなく、無限な霊界も主管しなければなりません。天使長や様々な形体をもった実体、そして無形の実体までも主管するにはその中心的タイプ、すなわち形状が必要です。それで神様はアダムを創造されたのです。
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アダムを中心に霊肉両面の世界、無形実体世界と有形実体世界を主管されようとするのが神様の人間創造の目的です。したがって一つの人格的実体と関係を結ばなければならないので、アダム完成とともに神様の形状完成、すなわち形が完成するのです。神様はアダムを造られる時、彼の形態、人相、人格などが無形世界の中心にいらっしゃる神様のような姿にならなければならない、という考えをもってアダムを造り出されたのです。形がなければ形の世界を主管できないのです。
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神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。神様は無形でいらっしゃる方なので、実体の形状をもった父母になれなければ形状の子女を愛することができないので、体を着るためなのです。アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。三つ目は、神様は中心軸をもった垂直の父で面積がないので、面をもとうということです。
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霊界に行っても神様を見ることができません。神様は見えないのです。皆さん、力が見えるでしょうか、力が見えますか。神様はエネルギーの本体なので、霊界に行っても見ることができません。体がないのです。ですから実体世界を指導して主管するためには実体をもたなければならないのです。神様はどのような神様ですか。アダムが堕落しないで完成して地上で暮らし、天上に行くようになれば、アダムの形状をもった神様になるのです。それで見えない神様と見えるアダムが一つになるのです。そのようになればアダムが「ははは」と笑うのは神様が「ははは」と笑うことになるので、それはすなわち宇宙が「ははは」と笑うことだというのです。何のことか分かりましたか。
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無形の神としていらっしゃる神様では、この宇宙を相手に刺激を感じることができないのです。心自体だけをもってしては、どんなに刺激しても感動しないのです。無形では、同じなので刺激が来ないのです。これが互いに相反するもの、熱いお湯と冷水が合わされば爆発するでしょう。そのような刺激が必要だというのです。
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神様は霊界でも無形です。形がありません。それで姿をもった人間の父母になるためには、姿をもたなければ中心になることができないのです。
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神様の最後の創造目的は体をもつことです。実体世界を主管するためには無形の神様では駄目なので万民の父母として体をもって現れなければならないのです。感覚器官をもって刺激を感じることができる主体と対象として立つためには、体を着なければなりません。
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実体世界を造られた神様が無形であっては、実体世界を支配することはできません。それで体が必要なのです。(アダム・エバが)創造された目的は、神様も実体をもって実体の父母になるためです。その実体がアダム、エバです。アダム、エバが完成したならば神様は、アダム、エバの心の位置に入って神様を中心とした王権を成すのです。王権が成立するとともに父母権が成立するのです。父母権とともに本然のアダムは長子権をもつのです。今日、次子権は必要ないのです。アダム自体が長子中の長子で、エバも長女中の長女でしょう。そのようになれば二人の息子、娘は、人類の父母中の父母になるのです。父母であると同時に、永遠な世界の王になるのです。
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なぜ神様が人に体をもたせたのでしょうか。体のない神様がいたならどれほどいいかというのです。神様が一人でいればいいのに、問題となるような体をなぜ造られたのかというのです。神様自身は無形の神です。無形の神様が体をもった人間の先祖になることができないのです。体をもった息子、娘に対そうとするので、体をもった神様の立場へ出ていかなければならないのです。それでアダムの体が神様の体のようになるのです。しかし神様は、アダムの心のような位置より一層次元が高い世界の段階に上がっていくのです。何のことか、分かりましたか。
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結局、神様は無形で形体が見えないので、形体を得て現れるのです。また、形体をもっている人間と万物を主管するために神様がアダムとエバの形体を着て現れます。そのようになればアダムとエバは神様と一体となるので、神様はアダムとエバの心のような方になるのです。アダムとエバの心の位置に神様が臨在して一つになったので、結局はアダムの内的な主人、内的なアダムのような方が神様だということを知らなければなりません。
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なぜ人を創造したのでしょうか。この宇宙は実体があるので、実体の主人であるアダムとエバを中心として管理主導することができる立場に立つためです。神様は霊界で無形でいらっしゃるので支配することができません。それで実体の仮面をかぶり、実体の体をもつことによって、あの世で、地球で生産されてくる自分の息子、娘となる子孫を実体をもって支配することができる王になるために人を造ったのです。その王の顔がアダムの顔です。王を造ったので、王妃が必要なのです。王妃とは誰ですか。エバが王妃にならなければならないのです。アダムとエバは地上の祖先であると同時に、天上世界の祖先になるのです。


  2.アダムは宗の祖先、有形の神様

神様は第一に、体を着るためにアダムとエバを創造され、第二に、愛を完成するために創造されたのです。このようなアダム、エバが完成し二人が一つとなることができる愛の実体になれば神様が臨在し、人類の前に愛の父母となるのです。そうして、神様の形状的実体の父母になったアダムとエバが実体の子女を繁殖することによって理想世界ができるのです。そのようになれば、人間を通じて霊界と地上世界が連結されるのです。その目的もあって人間を造られたのです。それで神様が愛を中心としてアダムとエバに臨在されることによって人類の真の父母、実体の父母としていらっしゃってから、アダムとエバがあの世へ行けば、霊界でもアダムとエバの形状で体をもって父母の位置に顕現することができるのです。
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実体をかぶった、神様の体で造ったアダムが、人間の先祖になるのです。言い換えれば、アダムは実体の神様です。無形の神様が実体の世界を主管するためには実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。それでは、エバとは誰ですか。エバはアダムの妻です。実体の妻です。それゆえアダムが実体をもった神様ならば、エバは実体をもった神様の妻です。神聖な神様が妻を得るというので驚くかもしれませんが、アダムは実体をもった神様の体です。エバは実体をもった神様の妻として創造されたのです。
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神様がアダムとエバを必要とするのには二つの目的があります。一つは、愛の理想を成就しようとすることです。もう一つは、無形の神様が形状をもって現れるためなのです。ですから、無形の神様が有形の形状をもって有形世界と関係を結ぶことができるその基礎、その核心がアダムとエバなのです。
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天の国に無形の神様が一人でいて何をしますか。見えない神様では何の意味もないのです。人間の父母になるには、体をもって感じることができなければならないのです。このような人間と同じ体を着なければならないので、体をもつために仕方なくアダムとエバを二重的存在として造らざるを得なかったということを知らなければなりません。
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体をもった父になることで、見えない無形と有形が一つになるのです。それは宇宙が一つになることを象徴します。ですから神様の形状に似たそのような体をもつことができる姿として、アダムとエバを造ったのです。そうしてアダムとエバを天の国の王宮に、王座へ上がらせ、その王と王妃の心の中に神様がいらっしゃり地上世界と無形世界を統治するのです。神様の王国を造るのです。王国は愛の王国だというのです。愛の王国。愛を中心としてのみ霊と肉が合わさるようになっているのであって、他のものをもってしては合わさることができないのです。
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エバは未来において、神様の王女です。王女であると同時に、将来の神様の相対でした。エバを愛の相対にしようとしたのです。神様の夫人となるのです。なぜそうなのかと言えば、愛を分かち合うためには体が必要です。体が必要なのです。あの世へ行ってみれば神様は無形です。空中で太陽のような光が二十四時間いつも浮かんでいるのです。空中から神様がみな無形で管理しているのです。その無形の神様が、実体をもった人間の愛の対象ではむなしいのです。ですからアダムとエバは無形の神様の愛の理想の絶対作品です。パートナーとして体をもったアダムとエバを造ったのです。神様は誰の姿かと言えば、アダムとエバの姿です。一つは内的な父であり、一つは外的な父なのです。一つは内的な父母であり、一つは外的な父母だというのです。
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神様は愛を共にするために天地を創造したのです。ですから男性と女性を、無形の神様が永遠の愛の実体として登場させるのです。愛の中心の実体として登場させるのが人類の善なる真の先祖、真の父母なのです。皆さんは真の父母をもてませんでした。しかし今日、統一教会には真の父母の教理があります。
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神様はアダム、エバをなぜ造ったのでしょうか。無形の神をもってしては実体世界を主管できないからです。無形の神をもってしては、見えない神をもってしては、この見える世界、創造物、宇宙世界を支配することができないのです。ですから神様は、愛を中心として体を着なければならないのです。それで創造をしたのです。愛を中心として体を着れば、内外共に刺激が起こるのです。刺激が起こるのです。
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無形の神様は実体がないのでその形体を身代わりしたのが真の父母だというのです。真の父母は個人的な父母、家庭的な父母、氏族的な父母、民族的な父母、国家的な父母であり、霊界に行ってもこれからは真の父母の形状で神様が現れるのです。統一教会が偉大なのはそれです。レバレンド・ムーンが偉大なのは何かと言えば、レバレンド・ムーンの形状を神様が使うというのです。何の話か分かりますか。
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神様は、無形の神様なのです。無形の神様が、有形の神様として現れようというのです。有形の神様とは何ですか。堕落していない、私たちが言う真の父母です。
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究極的に神様は霊的で無形なので、人間は直接神様から教えを受けたり重生の体験をすることができません。それで神様は中心人物を立てて、人間が彼を通じて教えを受け重生を体験することができるようにされました。この方が正に有形、無形の真の父母です。
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神様がアダムとエバを造った目的はどこにあるのでしょうか。私たち人間の形状を見なさい。体をもっているのです。しかし無形の神様は体がありません。体を着なければ、体をもたずしては霊界世界や地上世界を治めることができないのです。それで神様がいらっしゃったとしても、神様が人間の父母として現れるためには体を着なければならないのですが、その体を着た代表が誰かと言えば、アダムとエバだというのです。堕落していないアダムとエバの体をもって現れるのです。そうすることでアダムとエバは人類の始祖であると同時に、天地を主宰する神様になるのです。実体をもった神様、すなわち永遠な無形世界の神様の形状を代わりに着て現れた立場で、父母の立場で世界を統治する責任がアダムとエバにあったのです。
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神様は、神様と人間が主体と対象として縦的な愛の関係を完成することだけを目標にされてはいませんでした。縦的な愛を完成し、アダムとエバの横的愛の結実をもたらそうとされたのです。その瞬間が正に、内的父母であられる神様が外的父母であるアダムとエバと完全一体を成すために臨在される、愛の理想の成就の瞬間です。無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状を使って有形世界に永存される父母になるのです。この時アダムとエバは、真の父母、真の先祖となるのです。


三 神様は人格的な神

 1.神様は知情意をもった人格神

今日、多くのキリスト教信者たちは、神様は唯一無二のお方であり、絶対的な方であり、創造主であり、至高至善の位置にいらっしゃるので、被造人間すなわち被造物と創造主は関係をもつことができないと考えます。被造物は俗なるものであり、創造主は絶対的で神聖な方であると見ます。しかし愛の概念を中心として見る時、至高至善の神様であり、どんなに低俗な被造物だとしても愛の関係を結ぶためには人格的内容が同じでなければなりません。心情的内容が同じでなければなりません。人格を備えた人間と性稟が同じでなければならないのです。
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神様は、どんな神なのでしょうか。人格的な神です。知情意を合わせた内容をもった人格的な神です。そのような人格的な神が最高に願うのが愛なので、その愛の対象として私たち人間を造ったというのです。これは驚くべき事実です。
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神様は第一原因的存在ですが、人間をどのように造ったのでしょうか。神様と同じように造ったというのです。神様と同じように造るのに、神様の形状をかたどって、形状どおりに造りました。その言葉は何を意味するかと言えば、私が父に似ると同時に父は誰に似ましたか。私に似たというのです。それで答えになります。ですから神様を模索してみるとき、神様はどんな方ですか。私のような方だと言えば、さっと入ってくるのです。
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神様は誰に似たのでしょうか。神様の必要とするものが愛ならば、神様が愛するのに、神様に似たものを愛するでしょうか、神様と似ていない動物の子を愛するでしょうか。神様は喜ぶことができ、愛を分かち合うことができる相対的なものを必要とするのです。ですから人間がそのような相対ならば、人間を中心として見る時、神は人格的神でなければならないという結論が出てくるのです。そうでありながら、人間とはすべての要素が一〇〇パーセント和合しなければなりません。体と心の素性において、すべてが和合することができる神でなければなりません。ですから神様は、知情意をもった神でなければならないのです。
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神様がいらっしゃるのならば、人間とはどんな関係なのでしょうか。神様が人間と関係をもつためには、人格的神でなければならないのです。人格的神になるには、人間と同じでならなければならないのです。人間には心があり体があるのと同じように、このような素性がある人間を造られた神様も、人間と共に共同目的をもつことができるその本体ならば、人間に似なければならないというのです。二性性相という概念はここから出てくるのです。
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さあ、それでは、神様も人間のような人格をもっていますか。人と同じならば神様は男性でしょうか、女性でしょうか。それでは男性と同じようにぶら下がったものがあるでしょうか、ないでしょうか。神様は何性相と言いましたか。二性性相の主体なのですが、凹凸があるでしょうか、ないでしょうか。それを考えたことがありますか。
            *
神様が笑うでしょうか、笑わないでしょうか。神様が笑うのを見ましたか。神様も目があるでしょうか、鼻があるでしょうか、口があるでしょうか、耳があるでしょうか、体があるでしょうか。既成教会の信者たちをよく見てみると、でたらめです。神様に目があるのか、ということも知りません。目を本当に見たかと言えば、知らないのです。神様は誰に似ましたか。誰に似たのでしょうか。神様に似たと言うのです。そんな答えがどこにありますか。神様は誰に似たのですか。息子、娘に似たのです。それで神様は人格的神でなければなりません。人格的神として神様が、私に人格的最高の基準を要求するのです。人格的最高の基準とは何ですか。それはお金でもなく、権力でもなく、愛なのです。
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神様がいらっしゃるのならば、神様も人格的神でなければなりません。人と同じでなければなりません。人格的神だということは、知情意を備え、感情とか、またはみ旨を中心として目標とか、そのようなすべてのものが具体的でなければならないのです。
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神様は、知らないものがありません。知識の大王であられ、能力の大王であられ、全知全能であられるというのです。また、遍在されます。いらっしゃらない所がありません。この方が必要なものとは何ですか。ダイヤモンドですか。それはいつでもつくることができます。黄金ですか。宝石ですか。神様が必要なものは愛です。神様が一人でいて「ああ、愛があってとてもいい」と言い、「ひひひ」と言いますか。神様が必要なものとは何ですか。神様も人格的神ならば口があるでしょう。鼻もあり、目もあり、耳もあり、手足もあり、心もあり、心情もあるでしょう。人格的神ならばです。
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神様はいったいどんな方なのでしょうか。全知全能で、遍在され、ただ一言で世界を殺したり生かしたりする……。そのような神様を私たちは必要としません。私たちの本心は、どんな神様を願うでしょうか。「愛をもって、私のお母さん、お父さん以上の愛で愛さざるを得ない方なのだな。我が国に義なる国王がいるとすれば、義なる大統領がいるとすれば、その国王以上、その大統領以上の方なのだな」と、こんな方を願います。大統領は四年ごとに変わるので慌ただしくて、別に尊敬するほどでもありませんが……。
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今日、この世界を探し求めてこられた神様がいらっしゃるとしたら、その神様は知情意を備えた神様であることに違いありません。なぜでしょうか。人間がそうだからです。それは人類を中心とした知情意ではなく、天倫を中心とした知情意です。
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絶対的神様は、悲しむことができるでしょうか、できないでしょうか。全知全能なる神様は、悲しみの場を避けることができるでしょうか、できないでしょうか。その悲しみとかかわることができるでしょうか、できないでしょうか。これは深刻な問題です。私たちのような人間は、それをそのまま通り過ぎることはできません。絶対的である神様は絶対的に悲しみがあってはならないと言うならば、その神様は知情意をもった、喜怒哀楽の感情をもった人間の父となることはできないのです。論理的に矛盾します。ですから神様は、私たち人間よりももっと喜怒哀楽を感じることができる主体とならなければなりません。
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神様に対して正しく証した宗教団体はありません。仏教でも儒教でも、みな同じだというのです。神様と言えば、すぐにあぜんとして物が言えなくなります。彼らは人格的な神様、知情意を兼ね備えた神様を知らないのです。しかし統一教会は、神人一体を主張しているのです。それが偉大だというのです。
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統一教会が誇ることができるのは、神様をよく知っているということです。神様をはっきりと知っているというのです。神様は、知情意を備えた人格的神であると同時に、愛の主体だというのです。それを私たちははっきり知っています。その愛の神は、天情が中心なのです。天情の中心位置は行ったり来たりできないのです。


  2.神人一体の人格神を要求

神様も知情意をもった方であられるだけに、神様にも願いがあり、事情があり、心情があります。神様の願いは何で、神様の心情が何で、神様の事情とは何でしょうか。人間の事情よりも先に知らなければならないこととして、これさえ知ればいいのです。これさえ知れば、自然に人の願いが何であるか一遍に分かるのです。なぜでしょうか。人間の目的は神様であり、神様の目的は人間なので釣り合うのです。人間の事情をよく知って、願いをよく知って、心情をよく知る人は、神様の願い、神様の事情、神様の心情と通じることができるのです。
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愛を論じるならば、人格的神でなければなりません。情緒と、人格的に人と同じ素性をもった神でなければならないのですが、そのような神を提示した宗教はキリスト教以外にはないのです。神様を父と言ったのは偉大な発見だというのです。神様を父だと言ったのです。神様を父だと発見したという事実は今先生が話す、神様を内的父と外的父と見て実体に一致する愛によって統一的な権限をつくろうとするその基準、確実にこの基準までは発見できませんでしたが、そんな内容を暗々裡に解明することができる標題を掲げたという事実は驚くべきものです。そして唯一神を論じました。ですからこの宗教は世界的宗教であり、世界がこの宗教を中心としてまとまることができるというのです。この宗教によって世界が一つになることができる道を立てていくと、このように見るのです。
            *
今日、数多くの道がありますが、心情を通過することができる一つの道が歴史路程において現れませんでした。そのような道は必ず現れなければなりません。もしそれが現れないとするならば、神様はいらっしゃらないのです。人間が守らなければならない社会的倫理と道徳を教えてくれる道もあり、無限な霊界を教えてくれる道もありますが、倫理道徳と無形世界に対する教えを統合し、一つの心情の骨子の上にあげられた宗教がなければなりません。そんな宗教を探してみると、キリスト教だったというのです。キリスト教は心情の宗教です。人間は堕落することによって神様を失ってしまい、神様が私たちの父だということが分からなくなったのです。実体をもった真の父母を失いましたが、キリスト教はその真の父母を紹介することができる宗教です。
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哲学の最後の終着点は、神様を発見することです。その神様はどんな神でしょうか。絶対的な神、不変の神、唯一の神です。神様を発見することにおいて、その神様は私たち人間に必要な人格的神でなければなりません。私たち人間と関係を結ぶためには、私たち人間が考えるすべての内外を備え、意志を備え、理想を備えた人格的神でなければならないというのです。すべての面で通じることができる、情緒面やみ旨的な面や、または知識的面で私たち人間と通じることができる、完全に関係を結ぶことができる神様でなければ、どんなに神様がいると言っても私たちとは完全にかかわることができないのです。このように見るとき哲学は、人格的神にならなければならないという標題のもとであがめ尊んでこなかったのです。
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神様は誰に似ましたか。息子、娘に似ました。皆さんは誰ですか。神様の息子、娘です。神様に似たのです。そして神様は人格的な神です。神様がつまらない神様でいいでしょうか。キリスト教の驚くべきことは、人格、愛を中心として、知情意を中心として情緒的な人格的神を論じたということです。これが偉大です。そして唯一神を論じました。
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神様が人格的神ならば、神様に愛が必要でしょうか、必要ないでしょうか。私たち人間が神様の息子、娘として生まれ、神様に対して父だと言うなら、父が必要なように私も必要なのです。私も必要なように父も私が必要なのです。
            *
人格的な神がいるとすれば、その神を中心として何が連結されなければならないでしょうか。皆さん、神様と言えば高いところにいらっしゃると言うでしょう。そこに私の体が連結されるでしょうか。違います。心が連結されるのです。人格的な神であり第一原因なる存在の神様を中心として人生を生きていくのに、垂直のような心を中心として生きていくのであり、地球星が太陽系を中心として角度を合わせて軸を成して公転しながら一日、二日、三百六十五日と回るのと同じように、回りながら生きていくのです。このように見なければなりません。
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神様がいらっしゃるならば、神様の摂理を通して行かなければ、世界が未来に希望を残す何ものもないという、論理的な結果として結論を下すことになりました。ここにおいて統一教会が出てきて、神様がいるという実存性と、知情意の完成基準に立った人格的神を認定し、心情圏を中心とした理想世界を実現しようとしたのです。統一教会が初めて、神と人間の関係を確実にしたというのです
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posted by キンシロウ at 14:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷統一教会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

お知らせ

埼玉で「拉致監禁・強制改宗」抗議集会・デモを開催
2011年2月14日
 1月29日(土)、さいたま市で「拉致監禁・強制改宗」抗議集会・デモ行進が行われ、約460名が参加しました。

 集会では、主催者を代表して車世鍾実行委員長が昨年1月に設立された「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」(「被害者の会」)の趣意書の内容を中心に拉致問題の解決に対する思いを熱く語りました。

 続いて後藤徹「被害者の会」代表が埼玉における活動への敬意を表し、昨年度の活動成果を力強く報告しました。

 来賓挨拶では、地元の議員が「民主国家日本で、このような人権侵害は明らかに違法であり、許されないことだ」と訴え、会場全体からも「そうだ」と声が上がるなど、義憤心を燃やしながらのデモの出発となりました。

 デモは、警察官の誘導に合わせて、大宮駅東口の山丸公園から鐘塚公園までのおよそ20分間にわたって行われました。閉会の挨拶では車実行委員長が、800名規模のデモを今春に開催すると発表。参加者全体の大きな拍手と共に今回のデモは幕を閉じました。
posted by キンシロウ at 22:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界基督教統一神霊教会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月17日

渋谷統一教会

渋谷統一教会 2月13日聖日の説教


■題目:「これからは真の父母様 中心に 世界が回る」

■説教:総会長

■御言訓読:

イザヤ書(第60章 1節-4節)

起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。
見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。

もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。
あなたの目をあげて見まわせ、彼らはみな集まってあなたに来る。あなたの子らは遠くから来、あなたの娘らは、かいなにいだかれて来る。

■説教内容

尊敬する祝福家庭・食口の皆さん!
あけまして おめでとうございます。天基2年 天暦 1月11日最初の聖日です。
この日は今年の中でも新しい一日であり、新年です。それは6千年ぶりに神様の恨が解放された最初の日、最初の年だからです。

2010年は金婚式、万王の王戴冠式、天地人真の父母定着、蕩減復帰歴史 完成・完結・完了と、天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会を通じて、サタンを重病患者室から天宙の外に追放しました。

新天地が目前に迫って来た!

これからは今までサタンが主管しながら、バラバラに引き離された国境やビザ制度も、デモクラシーや選挙制度などを全部燃やしてしまって(風習、習慣、偽り伝統、博物館、図書館)、 神様が望まれる伝統、文化、政治、経済、社会、宗教が、天一国創建とともに樹立されなければならない新しい国、新天地が目前に迫って来ました。

2011年、今からは天一国創建の基礎をつくりながら、起工式、上棟式、竣工式をしなければならない、無限疾走の時代です。

1.地球村祝福で天一国

地球を天一国(地上天国)に、一歩進んで天上天国に作らなければならない使命があります。統一教人は、天一国創建の主役たちです。

神様が喜ぶ地球村祝福(国家祝福時代)時代です。
特に日本統一教は、復帰されたエバ国としてアダム国と一つになり三天使長国を抱きながら世界の中心国としての使命、母国、女王国にならなければなりません。そうなるためには 65億194ヶ国の子女を、皆祝福に導かなければなりません。

2.国家祝福時代の準備 (天一国入籍時代)

世界194ヶ国が皆天一国に入籍しなければなりません。皆が二重国籍を持つことができれば良いでしょう。
これからは少なくとも2ヶ国以上の専門家にならなければなりません。

3.八大教材教本に侍らなければいけない

日本国民は4千900万の世帯です。4千900万の世帯が、これから神様に侍らなければなりません。
日本は八大教材教本(神様の至聖所)に侍ることで、終末時代の審判(災い)を兔れる事ができます。八大教材教本(天福函)に侍る者は神様の王子王女となり、審判を避けることができる祝福中心家庭になることができます。
祝福家庭は現代の義人たちです。義人とはどのような人が義人でしょうか?

ソドム・ゴモラには義人50人、いや5人すらいなくて、硫黄の火によって審判を受けました。
ソドム・ゴモラの義人は誰でしたか? 快楽に染まらない純潔な人々でした。当時、豊かなソドム・ゴモラは快楽の王国でした。快楽に染まらない5人がいなかったために、神様は火の審判をしました。

それでは今日の義人は誰ですか?快楽に染まらないで、そこで浮気をするようにならない祝福家庭たちがまさに義人です。
神様は純潔な人々を愛します。保護します。祝福されます。審判から除外させます。淘汰されません。

現在の地震の国・日本が、世界のいたる所で地震、火山、津波で大騷ぎをしているけれども、日本が揺るぎなく滅びないのは、快楽に染まらない統一教の祝福家庭の純潔が、日本を災いから避けるようにした大きな原因なのです。?

ニネベ城を神様が審判するとヨナに語られましたが、ニネベに暮している王と臣下と民たちは灰の上で粗布を着て悔い改めた時、神様は審判をやめました。私たちは、この二つの事件を念頭において、賢い判断をしなければなりません。

4.日本は神様の一線であり サタンの一線

韓国の38度線が神様(善)の一線、サタン(悪)の一線であるように、日本エバ国も神様の一線でありサタンの一線なので、あらゆる悪魔サタンが日本に浸透し、統一教をあらゆる中傷、謀略により殺そうとしているのです。

50年の間、日本統一教の祝福家庭は対立して闘ってきたのです。その強い雨風に当たりながらも、世界救援のために争って来ました。

5.日本国民は正直で 読書好きで 思いやりの精神が最高

神様が日本を(復帰された)エバ国として選択し、将来日本民族を育てて世界の息子娘たちを教育させ、天民として作るための作戦なのです。
それで日本において統一教が盛んになっているのです。これが悔しくて反対・迫害をするのですが、これからはそれも終わりました。

2010年天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会を、ワシントン・ニューヨーク大会、フーバーダム・ラスベガス大会、ソウル韓国大会を通じて、サタンを天宙の外まで追い出しました。今は罪悪の歴史が終わって新しい国・新天地、善の歴史天一国が、この地に成就していく時です。

結論:世界は真の父母様 中心に回る

国家祝福時代。
天福函に侍る。
世界65億の人類を皆、祝福させなければならない。
そして教育させなければならない。
その責任を母国が先頭に立たなければならない。

2011年は今までのどの時よりも忙しい。
今までより、10〜20倍も忙しい時代。
腰のベルトを締めて、天一国建設の現場(世界)へ出ていこう。
全力投球、死に物狂いの道を行かなければならない。
2013年1月13日 起源節まで、家庭ごとに八大教材教本(至聖所)に侍らなければいけない。
アージュ!
posted by キンシロウ at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 渋谷統一教会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

世田谷統一教会 生講義が聞けます

世田谷統一教会で生講義が聞けます。

生講義が聞けます.JPG
posted by キンシロウ at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 世田谷統一教会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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